氷見事件(読み)ひみじけん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「氷見事件」の意味・わかりやすい解説

氷見事件
ひみじけん

2002年(平成14)1月と3月、いずれも富山県氷見市内で男が民家に侵入して起こした強姦(ごうかん)および強姦未遂事件。両事件で有罪とされ、実刑判決が確定した男性が服役を終えた後、真犯人が明らかになり、冤罪(えんざい)と判明した。男性は再審無罪となった。

[江川紹子 2016年11月18日]

事件の経緯

事件発生後、富山県警氷見警察署は、被害者の供述に基づいて似顔絵を作成して聞き込み捜査を行っていたところ、犯人に似ているとの情報を得たことから、タクシー運転手柳原浩(やなぎはらひろし)の任意取調べを開始。柳原は、当初は否認していたが、3回目の取調べで虚偽自白に追い込まれ、逮捕された。富山地裁高岡(たかおか)支部で行われた裁判で起訴事実を認め、懲役3年の実刑判決が言い渡された。柳原は控訴せずに服役し、2005年1月に仮出所した。

 2006年11月、鳥取県警が鳥取県米子(よなご)市内で発生した強制わいせつ事件の被疑者として逮捕した男が、余罪捜査中に氷見事件の犯行自白。現場に残された足跡痕(こん)が、男が犯した他の事件の現場足跡痕と一致したことなどの裏づけもとれた。富山県警が改めて柳原に事情を聞いたところ、事件への関与を否定したため、富山地検高岡支部が再審請求を行った。再審公判で検察側は無罪の論告を行い、2007年10月10日に無罪判決が言い渡され、確定した。

[江川紹子 2016年11月18日]

捜査等の問題点

本件では、捜査段階で柳原の犯人性を示す積極証拠は被害者の目撃証言以外に乏しく、逆に犯人性を疑わせる消極証拠がいくつもあった。たとえば、現場に遺留された足跡痕の長さは28センチメートルであったが、柳原の足のサイズは24.5センチメートルであり、自宅から現場足跡痕にあう靴は発見されていない。取調べで、その理由を問い詰められた柳原は、捜査官に誘導されるままに「捨てた」「隠してある」「燃やした」などと供述を変遷させた。警察は、靴の入手経路を解明することもせず、この消極証拠を見過ごした。

 また、被害者供述では、犯人はサバイバルナイフのようなもので脅し、チェーン様のもので被害者を後ろ手に縛った、とされていた。しかし、柳原宅の捜索では、そのようなナイフやチェーンは発見されなかった。にもかかわらず検察官は、凶器は柳原宅から押収された果物ナイフであり、縛ったのはやはり柳原宅から押収されたビニル紐(ひも)であると認定して、柳原を起訴した。

 さらに、事件の発生時間帯に、柳原宅から親族宅に電話がかけられた記録があったが、このアリバイ証拠は見落とされた。

 虚偽の自白を行った理由について柳原は、警察の長時間の取調べで意識がもうろうとしているところに、「家族はおまえを見捨ててるぞ」などと迫られ、絶望感のなかで犯行を認めたと述べている。また、柳原自身が描いたとされる現場見取り図については、捜査員が鉛筆で下書きしたものをボールペンで清書したものであり、引きあたり捜査では、現場付近に連れて行かれたうえで、捜査員から度重なる誘導を受けて、ようやく現場の家を特定するなど、警察側から与えられた情報を受け入れる形で証拠書類が作成された、としている。また、検事の取調べで否認すると、警察に戻ってからどなられ、今後は供述を覆さない旨の念書を書かされたと訴えている。

 警察庁は、本件に関する検証報告書を公表。捜査員による暴行や脅迫は否定しつつも、「相当程度捜査員から積極的に事実を確認する形での取調べを行わざるをえない状況にあった」として、捜査員が情報を与えたり、ヒントで誘導するなどの形で取調べが行われたことは認めた。最高検察庁も検証報告書を作成し、足跡痕や電話の通話履歴などの消極証拠の検討や自白の吟味が不十分であったことを反省点にあげた。

 本件では、弁護人の弁護活動も問題になった。日本弁護士連合会による調査報告書によれば、当番弁護士として接見した弁護士は、柳原の「やっていない」という訴えを聞いたが、格別の対応はせず、捜査段階でその後の接見はしなかった。起訴後に同じ弁護士が国選弁護人となったが、柳原本人との意思疎通が不十分なまま、有罪を前提とする弁護活動を行った。

[江川紹子 2016年11月18日]

国家賠償訴訟

柳原は、国や富山県などに約1億0400万円の損害賠償を求める訴訟を起こした。富山地裁は2015年3月の判決で、警察の取調べについては、「強い心理的圧迫を与える態様の取調べを長時間行い」、「消極証拠を過小に評価し、(無実ではないかとの)検討をした形跡がない」「客観的状況と合致する回答を(柳原に)押しつけて、何もないところから虚偽の自白を作出した」などと違法性を認め、同県に約1966万円を支払うよう命じた。しかし、検察官による起訴の違法性は認めず、国に対する賠償請求は棄却した。また、取調べを行った警察官、起訴した検察官個人に対する訴えも、「国賠法(国家賠償法)は、公務員個人の賠償責任について規定するものではない」として棄却した。この判決は、原告被告双方が控訴せず、確定した。

[江川紹子 2016年11月18日]

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