永山武四郎(読み)ながやまたけしろう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「永山武四郎」の意味・わかりやすい解説

永山武四郎
ながやまたけしろう
(1837―1904)

明治時代の陸軍軍人、第2代北海道庁長官。天保(てんぽう)8年4月24日薩摩(さつま)国に生まれる。戊辰(ぼしん)戦争に従軍後、1871年(明治4)陸軍大尉となる。72年開拓使八等出仕となり、開拓次官黒田清隆(きよたか)の下で屯田兵(とんでんへい)制度の創設尽力、77年の西南戦争には屯田兵第一大隊を率いて参戦した。85年屯田兵本部長となり、87年アメリカ、ロシア、清(しん)国の移民・農業制度などを視察して『周遊日記』を著した。88年には第2代道庁長官を兼任して上川開発に意を注ぎ、のち屯田兵司令官、第七師団長、貴族院議員などを歴任した。明治37年5月27日没。旭川(あさひかわ)市の旧永山兵村は彼の名にちなんでいる。

[桑原真人]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「永山武四郎」の解説

永山武四郎 ながやま-たけしろう

1837-1904 明治時代の軍人。
天保(てんぽう)8年4月24日生まれ。黒田清隆(きよたか)のもと北海道開拓と屯田兵制度の創設にたずさわる。明治21年北海道庁長官。屯田兵廃止後の初代第七師団長となり,陸軍中将。貴族院議員。明治37年5月27日死去。68歳。薩摩(さつま)(鹿児島県)出身。日記に「周遊日記」。

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朝日日本歴史人物事典 「永山武四郎」の解説

永山武四郎

没年:明治37.5.27(1904)
生年:天保8.4.24(1837.5.28)
明治期の陸軍軍人。鹿児島(薩摩)藩士の子。明治5(1872)年北海道開拓使8等出仕に任命されてから,一貫して北海道の開拓,屯田に従事。18年5月屯田兵本部長に就任し,21年から3年間北海道庁長官を兼任,29年中将に進む。<参考文献>栃内元吉『男爵永山武四郎略伝』

(山村義照)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

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