永田秀次郎(読み)ながたひでじろう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「永田秀次郎」の意味・わかりやすい解説

永田秀次郎
ながたひでじろう

[生]1876.7.23. 兵庫,淡路島
[没]1943.9.17. 東京,雑司ヶ谷
官僚政治家。第三高等中学校卒業後,1900年高等文官試験に合格した。 26歳で洲本中学校長,のち三重県知事,内務省警保局長などを歴任,18年退官して貴族院議員勅選された。 23年後藤新平の跡を継いで東京市長に選ばれ,関東大震災後の東京復興に尽した。 30年再度東京市長に選ばれ,東京市隣接5郡 82ヵ村の合併,小河内貯水池計画の実施など東京市政に大きな足跡を残した。 36年広田弘毅内閣の拓務大臣,39年阿部信行内閣の鉄道大臣就任。のち陸軍占領地軍政最高顧問としてサイゴン赴任。俳人青嵐としても知られる。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「永田秀次郎」の解説

永田秀次郎 ながた-ひでじろう

1876-1943 大正-昭和時代前期の官僚,政治家。
明治9年7月23日生まれ。三重県知事,内務省警保局長などを歴任。大正7年貴族院議員。のち東京市長,拓務相,鉄道相,拓殖大学長などをつとめる。高浜虚子としたしかった。俳号は青嵐(せいらん)。昭和18年9月17日死去。68歳。兵庫県出身。第三高等学校卒。著作に「平易なる皇室論」など。

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