朝日日本歴史人物事典 「江戸半太夫(初代)」の解説
江戸半太夫(初代)
生年:生年不詳
江戸前期に活躍した半太夫節(江戸節)の太夫。修験者の子で幼名を半之丞といい,初め説経祭文の上手であったが,江戸肥前掾に師事して浄瑠璃太夫となり,江戸堺町で操り芝居を始めたという(『本朝世事談綺』1734)。その浄瑠璃は半太夫節といわれ,薩摩浄雲以後の江戸での名人といわれた。『声曲類纂』(1847)には,半太夫が興行を一時退転しようとしたとき,これを惜しんだ紀伊国屋文左衛門が2000両の金を貸し与えて続けさせたという逸話がみえる。一段物の稽古本はあるが,完全な正本は残されていない。正徳年間(1711~16)に剃髪して坂本梁雲と称した。享保4(1719)年,休座中の劇場を辰松座に貸して操り興行をやめる。同年刊の段物集『鳰鳥』に,江戸半太夫事坂本梁雲の名で序文を書き,同8年刊の『にほとり万葉集』には,江戸太夫隠居坂本梁雲と記している。その語り物の一部は,弟子の江戸太夫河東(初代十寸見河東)のはじめた河東節に伝承されている。弟子にはほかに,十寸見蘭州,江戸太夫双笠らがよく知られている。なお2代目以降はお座敷浄瑠璃を専門にして,「助六」にだけ歌舞伎出演していたが,その名跡は幕末の7代目で終わっている。
(竹内道敬)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報