江戸重通(読み)えど・しげみち

朝日日本歴史人物事典 「江戸重通」の解説

江戸重通

没年:慶長3.3.1(1598.4.6)
生年弘治1(1555)
戦国時代の武将常陸国(茨城県)水戸城主。忠通の嫡孫。幼名は愛千代丸。通称彦五郎。但馬守に任ず。永禄7(1564)年に祖父死去,同10年には病弱な父通政も死去するなど,幼少年期は試練の日々を送る。長じては,その苦労を糧に常陸中央部を越えて鹿島・行方両郡にまで進出,佐竹氏傘下に属しつつも常陸第2の勢力に成長する。結城晴朝の娘を妻に迎え,織田信長とも直接交渉するなど大名並みの地位と実力を築いたが,天正18(1590)年,石田三成,佐竹義宣らの策謀によって水戸城を奪取され,義父晴朝のもとへ逃れ結城で死去。<参考文献>『水戸市史』上

(市村高男)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「江戸重通」の解説

江戸重通 えど-しげみち

1555-1598 織豊時代の武将。
弘治(こうじ)元年生まれ。江戸通政の子。常陸(ひたち)水戸城主。天正(てんしょう)18年佐竹義宣(よしのぶ)に城を追われ,妻の兄である下総(しもうさ)結城(ゆうき)(茨城県)の結城晴朝のもとにのがれた。慶長3年3月1日死去。44歳。通称は彦五郎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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