日本大百科全書(ニッポニカ) 「江渡狄嶺」の意味・わかりやすい解説
江渡狄嶺
えとてきれい
(1880―1944)
農民思想家。本名幸三郎。青森県三戸(さんのへ)郡五戸(ごのへ)村(現、五戸町)に生まれる。東京帝国大学法律学科入学、学生結婚をして中退。1911年(明治44)年徳冨蘆花(とくとみろか)の世話で東京・世田谷で農業を始め、自宅を百性愛(ひゃくせいあい)道場と名づけた。2年後上高井戸(かみたかいど)(杉並区)に移り、終生ここで農業を営み、読書と思索に専念した。青年期には聖書、トルストイやクロポトキンに傾倒、中年以後は仏教にひかれ、とくに道元(どうげん)に帰依(きえ)し、各地で『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』などを講義し、また自作の『農乗嘱文(のうじょうしょくぶん)』などを披講(ひこう)した。晩年は「場(ば)」探究に精進した。生涯を通じての求道者・説教者であり、農本思想者の代表の一人であった。
[大西伍一 2016年8月19日]
『『江渡狄嶺選集』上下(1979・家の光協会)』
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