江藤慎一(読み)エトウシンイチ

デジタル大辞泉 「江藤慎一」の意味・読み・例文・類語

えとう‐しんいち【江藤慎一】

[1937~2008]プロ野球選手監督熊本の生まれ。昭和34年(1959)中日入団。昭和39年(1964)から2年連続で首位打者獲得ロッテ移籍後の昭和46年(1971)にも首位打者となり、プロ野球初の、セ・パ両リーグで首位打者を獲得した選手となる。大洋横浜DeNA前身)を経て、昭和50年(1975)には太平洋クラブ西武の前身)で選手兼任監督として活躍した。通算2057安打。

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百科事典マイペディア 「江藤慎一」の意味・わかりやすい解説

江藤慎一【えとうしんいち】

プロ野球選手。外野手。熊本県出身。熊本商業高校卒業後,社会人野球を経て,1959年にセントラル・リーグ中日ドラゴンズに入団。1964年から2年連続で首位打者となる。その後,パシフィック・リーグロッテオリオンズに移籍し,1971年に首位打者となり,史上初のセ・パ両リーグ首位打者となった。1971年セリーグの大洋ホエールズに移籍,1975年からはパリーグ太平洋クラブライオンズで選手兼任監督を務め,1976年ロッテに戻り,その年で現役引退。現役18年間で2084試合に出場し,通算で2057安打,368本塁打,1189打点。そのファイトあふれるプレースタイルから〈闘将〉と呼ばれた。セ・パ両リーグの12球団から本塁打を放ったことでも知られる。2010年に野球殿堂(でんどう)入り。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「江藤慎一」の解説

江藤慎一 えとう-しんいち

1937-2008 昭和時代後期のプロ野球選手,監督。
昭和12年10月6日生まれ。ノンプロの日鉄二瀬で活躍し,昭和34年中日に入団。外野一塁をまもり,39年,40年連続首位打者。ロッテにうつった翌46年首位打者となり,史上初のセ・パ両リーグ首位打者を達成した。実働18年,通算2057安打,2割8分7厘,367本塁打。50年太平洋監督。のち少年野球の指導にあたり,江藤野球塾を設立。平成20年2月28日死去。70歳。熊本県出身。熊本商卒。

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