池内信嘉(読み)いけのうちのぶよし

改訂新版 世界大百科事典 「池内信嘉」の意味・わかりやすい解説

池内信嘉 (いけのうちのぶよし)
生没年:1858-1934(安政5-昭和9)

能楽研究家。愛媛県松山市出身。号如水,如翠。愛媛県立師範学校卒業後,教職に就く。のち養蚕事業を興し,一時,県会議員として活躍したが,1902年能楽の前途を憂え,いっさいをなげうって上京能楽館を設立,能楽俱楽部を置いて囃子方の養成につとめる一方,雑誌《能楽》を発刊,能楽会理事に就任するなど能楽界の発展に貢献した。12年その説がいれられて東京音楽学校(現,東京芸術大学)に能楽囃子科が設置されるや同校の嘱託(のち教授)となり後進育成に力を尽くすなど能楽の振興に半生を捧げたが,能楽界の旧体質の壁も厚く苦難の連続であった。吉田東伍《世阿弥十六部集》(1909)の公刊をはじめ能楽研究にも大きく寄与した。主著《能楽盛衰記》2巻(1925-26)。俳人高浜虚子の兄。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「池内信嘉」の解説

池内信嘉 いけのうち-のぶよし

1858-1934 明治-昭和時代前期の能楽研究家。
安政5年2月7日生まれ。高浜虚子の兄。愛媛県会議員などをつとめたのち明治35年上京。能楽館を設立して「能楽」を発行,後進の育成につくした。能楽会理事,東京音楽学校(現東京芸大)教授。昭和9年5月17日死去。77歳。伊予(いよ)(愛媛県)出身。愛媛師範卒。著作に「能楽盛衰記」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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