精選版 日本国語大辞典 「池辺三山」の意味・読み・例文・類語
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(小宮一夫)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
明治時代のジャーナリスト。本名吉太郎,鉄崑崙(てつこんろん)とも号す。熊本藩士の父吉十郎の私塾や慶応義塾に学ぶ。1887年《山梨日日新聞》に論説を書き言論界入り,92年細川護成の補導役として渡欧,《日本》に寄稿した〈巴里通信〉で文名を高めた。96年《大阪朝日新聞》主筆就任,97年《東京朝日新聞》主筆を兼任(翌年専任),不振の同紙を立て直す。明治30年代中期,日露関係が緊張すると対露強硬論・主戦論の論陣を展開,1905年のポーツマス条約締結に際しては,当時の桂内閣の妥協的態度を強く非難した。報道主義の立場から海外報道の充実や〈つや種〉の社会面からの排除など紙面の近代化を進めたほか,夏目漱石と朝日新聞社の専属契約,二葉亭四迷の庇護(ひご),新人作家の起用など近代文学史上にも特筆すべき足跡を残している。その論説の筆力は,《国民新聞》の徳富蘇峰,《時事新報》の石河幹明とともに〈三名主筆〉と称せられた。
執筆者:佐々木 隆
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明治期の新聞記者。本名は吉太郎、号は鉄崑崙(こんろん)など。肥後藩士池辺吉十郎(西南戦争の熊本隊隊長)の長男。同人社、慶応義塾に学ぶ。1888年(明治21)『経世評論』主筆となる。条約改正反対運動に従事し、国民自由党に参加。1892年から3年間、旧藩主細川護久(もりひさ)の子護成(もりなり)に従いフランスに遊学。『日本』紙に「巴里(パリ)通信」を寄稿し好評を得た。1896年『大阪朝日新聞』に入社。翌1897年『東京朝日新聞』主筆となり同紙を東京における有力新聞に育てた。国民同盟会などの対外硬(強硬外交)運動にも参画。1911年(明治44)社内紛議がもとで退社。以後、明治維新史などの史論執筆を志したが、翌明治45年2月28日病没。
[有山輝雄]
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