沖原 光孚(読み)オキハラ コウフ

20世紀日本人名事典 「沖原 光孚」の解説

沖原 光孚
オキハラ コウフ

明治期の陸軍中将,男爵 貴院議員。



生年
嘉永1年3月3日(1848年)

没年
昭和6(1931)年9月11日

出身地
周防国岩国(山口県)

旧姓(旧名)
松浦

学歴〔年〕
陸軍戸山学校〔明治6年〕卒

経歴
もと周防岩国藩士で、松浦国蔵の四男に生まれ、沖原為蔵の養嗣子となる。明治6年山口藩一番大隊中尉となり、34年陸軍中将に昇進。この間、東京鎮台第2連隊副官などを経て、27年日清戦争には歩兵第13連隊長として出征。威海衛攻略時に直属の大寺安純少将を失うほどの激戦を制し、28年歩兵第1旅団長、歩兵第4旅団長、29年歩兵第8旅団長、34年第11師団長、37年留守第9師団長を歴任日露戦争には第15師団長として従軍、40年男爵となる。陸軍省総務局人事課長、高等軍法会議判士長なども務めた。44年〜大正14年貴院議員。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

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