河原崎 長一郎(読み)カワラザキ チョウイチロウ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「河原崎 長一郎」の解説

河原崎 長一郎
カワラザキ チョウイチロウ


職業
俳優

本名
河原崎 統一

生年月日
昭和14年 1月11日

出生地
東京府吉祥寺(東京都 武蔵野市)

学歴
早稲田大学文学部中退

経歴
前進座創設者の河原崎長十郎、しづ江夫婦の長男。昭和20年小学校1年で初舞台を踏む。35年東映京都と契約、36年「鉄火大名」で映画デビュー。「ちいさこべ」「天草四郎時貞」などで頭角をあらわし、38年「五番町夕霧楼」で演技力の確かな若手俳優として決定的な声価を得、ブルーリボン助演男優賞を受賞。40年東映と契約。同年前進座に入団し、舞台でも活躍するが43年退団。以後、「神々の深き欲望」「私が棄てた女」「櫛の火」などの映画を通して、’60〜70年代の演技派実力俳優の代表的存在となり、温かい庶民派の中年役に定評があった。他の出演作に、映画「復讐するは我にあり」「太陽の子・てだのふあ」「人間の約束」「吉原炎上」「女衒」、テレビ「沿線地図」「早春スケッチブック」「マー姉ちゃん」「やつらの戦い」「花へんろ」「花の咲く家」「いつかまた逢える」など多数。平成5年脳こうそくを患い、半年後に復帰したが、10年糖尿病による合併症で左半身まひとなり入退院を繰り返した。

受賞
NHK映画賞(新人賞 昭38年度),ブルーリボン賞(助演男優賞 昭38年度)「五番町夕霧楼」

没年月日
平成15年 9月19日 (2003年)

家族
父=河原崎 長十郎(2代目),母=河原崎 しづ江(女優),弟=河原崎 次郎(俳優),河原崎 建三(俳優),妻=伊藤 栄子(女優)

親族
従妹=岩下 志麻(女優)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「河原崎 長一郎」の解説

河原崎 長一郎
カワラザキ チョウイチロウ

昭和・平成期の俳優



生年
昭和14(1939)年1月11日

没年
平成15(2003)年9月19日

出生地
東京府吉祥寺(現・東京都武蔵野市)

本名
河原崎 統一

学歴〔年〕
早稲田大学文学部中退

主な受賞名〔年〕
NHK映画賞(新人賞 昭38年度),ブルーリボン賞(助演男優賞 昭38年度)「五番町夕霧楼」

経歴
前進座創設者の河原崎長十郎、しづ江夫婦の長男。昭和20年小学校1年で初舞台を踏む。35年東映京都と契約、36年「鉄火大名」で映画デビュー。「ちいさこべ」「天草四郎時貞」などで頭角をあらわし、38年「五番町夕霧楼」で演技力の確かな若手俳優として決定的な声価を得、ブルーリボン助演男優賞を受賞。40年東映と契約。同年前進座に入団し、舞台でも活躍するが43年退団。以後、「神々の深き欲望」「私が棄てた女」「櫛の火」などの映画を通して、’60〜70年代の演技派実力俳優の代表的存在となり、温かい庶民派の中年役に定評があった。他の出演作に、映画「復讐するは我にあり」「太陽の子・てだのふあ」「人間の約束」「吉原炎上」「女衒」、テレビ「沿線地図」「早春スケッチブック」「マー姉ちゃん」「やつらの戦い」「花へんろ」「花の咲く家」「いつかまた逢える」など多数。平成5年脳こうそくを患い、半年後に復帰したが、10年糖尿病による合併症で左半身まひとなり入退院を繰り返した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「河原崎 長一郎」の解説

河原崎 長一郎 (かわらざき ちょういちろう)

生年月日:1939年1月11日
昭和時代;平成時代の俳優
2003年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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