河原崎国太郎(読み)かわらさきくにたろう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「河原崎国太郎」の意味・わかりやすい解説

河原崎国太郎
かわらさきくにたろう

歌舞伎(かぶき)俳優。屋号山崎屋。

服部幸雄

初世

(1849―67)江戸河原崎座の座元、6世河原崎権之助(ごんのすけ)の子。若女方(わかおんながた)。

[服部幸雄]

4世

(1888―1919)熊本生まれ。1912年(明治45)6月、2世実川(じつかわ)延太郎から4世を襲名。女方(おんながた)。本名の井上正で新派にも出演した。

[服部幸雄]

5世

(1909―90)本名松山太郎。洋画家松山省三の子。東京生まれ。2世市川猿之助(猿翁(えんおう))の門に入り、市川笑也(えみや)と名のり、劇団前進座の結成に参加。1932年(昭和7)5世国太郎を襲名。前進座の立女方(たておやま)として活躍、とくに世話物の女方に優れ、悪婆(あくば)物に独自の味を発揮した。著書に自伝『河原なでしこ』(1955)、『女形芸談』(1972)、『女形半生記』(1991)などがある。

[服部幸雄]

6世

(1962― )6世嵐芳三郎(あらしよしさぶろう)の長男。本名寺田克己。前進座の女方。1998年(平成10)、5世嵐市太郎(いちたろう)から6世河原崎国太郎を襲名。

[服部幸雄]


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改訂新版 世界大百科事典 「河原崎国太郎」の意味・わかりやすい解説

河原崎国太郎 (かわらさきくにたろう)

歌舞伎俳優。江戸河原崎座の座元6世河原崎権之助の子で,幕末の若女方として著名な国太郎が1859年(安政6)に名のったのがはじまり。5世までのうち4世,5世が有名。(1)4世(1888-1919・明治21-大正8) 本名井上正。熊本生れ。3世実川延三郎の門弟となり上京,1900年東京座で実川延子(えんし)を名のり初舞台。06年5月東京座で2世実川延太郎となり,宮戸座,蓬萊座で立女方として活躍,2世市川猿之助(猿翁)と組む。12年6月東京歌舞伎座で国太郎を襲名。19年帝劇《牡丹灯籠》のお米で認められる。(2)5世(1909-90・明治42-平成2)洋画家松山省三の子。1928年3月2世市川猿之助に入門,市川笑也を名のり初舞台。31年5月前進座創立に参加,立女方として活躍。32年4月市村座で国太郎を襲名。《於染久松色読販(おそめひさまつうきなのよみうり)》,《東海道四谷怪談》のお岩をはじめ多くの南北物,世話物に長じた。《女形芸談》ほか著書も多く,理論と実践を兼ねた。
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