世界大百科事典(旧版)内の河原崎権之助(初世)の言及
【河原崎座】より
…江戸の歌舞伎劇場。能太夫であった初世河原崎権之助の創設になる。興行をおこした時期は,1648年(慶安1)とも,56年(明暦2)ともいわれる。…
【座元(座本)】より
…櫓主,太夫元ともいう。江戸では,1624年(寛永1)に猿若(中村)勘三郎が幕府に願い出て,中橋での興行を許されたのが座元の始まりで,以後,都伝内,村山又三郎,山村小兵衛(長太夫),河原崎権之助,森田太郎兵衛,玉川新十郎がそれぞれ劇場を立てて座元となった。57年(明暦3)の江戸大火後,中村勘三郎,市村宇(羽)左衛門,森田勘弥,山村長太夫の4人に限り座元として興行することが許されたが,1714年(正徳4)の江島生島事件で山村長太夫が官許を取り消され,山村座は廃絶した。…
【舞曲扇林】より
…舞踊を中心とする歌舞伎の理論書。初世河原崎権之助著。刊記を欠くため刊行年月は不明であるが,1689年(元禄2)ごろの成立,刊行と推測される。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」