河津祐泰(読み)かわづのすけやす

精選版 日本国語大辞典 「河津祐泰」の意味・読み・例文・類語

かわづ‐の‐すけやす【河津祐泰】

平安時代末の武将。俗称河津三郎伊豆の人。伊東祐親の子。曾我兄弟の父。従兄工藤祐経の命を受けた者に暗殺された。生年未詳。安元二年(一一七六)没。

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デジタル大辞泉 「河津祐泰」の意味・読み・例文・類語

かわづ‐すけやす〔かはづ‐〕【河津祐泰】

[?~1176]平安末期の武将。伊豆の人。伊東祐親の子。曽我兄弟の父。工藤祐経くどうすけつね部下に伊豆で殺された。大力相撲名手といわれた。かわづのすけやす。

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朝日日本歴史人物事典 「河津祐泰」の解説

河津祐泰

没年:安元2(1176)
生年:生年不詳
平安末期の武士。伊豆国河津の住人。祐重,祐道ともある。河津三郎と称す。曾我兄弟の父。伊東祐親の嫡子。豪力の者として聞こえ,伊豆巻狩の際に源頼朝の前で行われた相撲で,日本一の名を得ていた俣野五郎を破っている。その直後,父祐親と工藤祐経の所領の争いから,祐経の手の者である八幡三郎に射殺されている。のちの遺子曾我十郎祐成,五郎時致の兄弟の仇討ちはこの遺恨による。

(飯沼賢司)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「河津祐泰」の解説

河津祐泰 かわづ-すけやす

1145-1176 平安時代後期の武将。
久安元年生まれ。伊東祐親(すけちか)の長男。曾我(そが)兄弟(祐成(すけなり)・時致(ときむね))の父。伊豆(いず)河津(静岡県)の領主。伊東郷をめぐる父祐親と工藤祐経(すけつね)の所領争いがもとで,安元2年10月祐経の家来八幡(やわた)三郎,大見小藤太(おおみ-ことうだ)に射殺された。32歳。通称は三郎。

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