法安寺跡(読み)ほうあんじあと

日本歴史地名大系 「法安寺跡」の解説

法安寺跡
ほうあんじあと

[現在地名]小松町北川 長丁

現在の法安寺の境内に残る旧法安寺の遺跡で、国指定史跡

この法安寺の沿革は不詳であるが、寺伝では推古天皇四年聖徳太子が伊予行啓の際に国司越智益躬に創建させたといわれる。

建長七年(一二五五)の伊予国神社仏閣等免田注進状案(国分寺文書)には「寺田 法安寺 七反三百五拾歩」とあり、伊予の大寺であったことがわかる。その後も得能氏が元弘三年(一三三三)に、懐良親王が延元二年(一三三七)に土地を寄進したという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「法安寺跡」の解説

ほうあんじあと【法安寺跡】


愛媛県西条市小松町にある寺院跡。高縄(たかなわ)半島東側の付け根に広がる道前(どうぜん)平野の中央を流れる中山川右岸に所在する。1934年(昭和9)に礎石の位置や周辺部の測量図が作成され、1944年(昭和19)に国の史跡に指定された。南北には2個の礎石群があるが、北方のものは金堂跡と認められ、今の法安寺本堂になる薬師堂の下に礎石8個、堂前付近にも数個の礎石があり、これらは同一の基壇上にあったと推定されている。塔跡は1辺約12mの基壇上に16個の礎石があり、この塔跡から北に30mの位置には金堂跡の14個の礎石が残っている。金堂跡の北に講堂跡、その付近に鐘楼跡、鎮守社跡と思われる所があることから、主要伽藍(がらん)は塔、金堂、講堂を南北線上に配する四天王寺式であると推定。域内からは数多くの遺物が出土し、単弁八葉蓮華文軒丸瓦(のきまるがわら)、複弁八葉蓮華文軒丸瓦、重弧文軒平瓦など、多量の瓦や須恵器(すえき)、土師器(はじき)も含まれていることから、飛鳥時代から平安時代中期にかけて寺が存続していたことが明らかになっている。JR予讃線伊予小松駅から徒歩約25分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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