津山城(読み)つやまじょう

日本の城がわかる事典 「津山城」の解説

つやまじょう【津山城】

岡山津山市の津山盆地中央にあった平山城(ひらやまじろ)。国指定史跡。日本城郭協会選定による「日本100名城」の一つ。城の前身は、嘉吉年間(1441~44年)に美作(みまさか)の守護職山名氏が鶴山(つやま)に築いた小規模な山城とされる。応仁の乱で山名氏は衰え、やがて廃城となった。1603年(慶長8)、森忠政(森蘭丸(もりらんまる)の弟)が18万6千石で入封し、鶴山を津山とあらため、この地に築城をはじめた。1616年(元和2)に13年の歳月をかけて、五重の天守を擁し、櫓(やぐら)や城門など80余棟が並ぶ壮麗な近世城郭が完成した。森氏は4代で断絶し、替わって松平宣富(まつだいらのぶとみ)が入封した。1873年(明治6)の廃城令によりほとんどの建物は取り壊された。現在は鶴山公園(かくざんこうえん)として整備され、2005年(平成17)に備中櫓(びっちゅうやぐら)、2006年(平成18)に天守台南側の太鼓塀がそれぞれ復元された。JR津山線津山駅から徒歩15分。◇鶴山城(かくざんじょう)とも呼ばれる。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「津山城」の意味・わかりやすい解説

津山城
つやまじょう

江戸期の城。岡山県津山市山下にあり、鶴山(かくざん)城ともいう。1603年(慶長8)信州川中島(かわなかじま)から美作(みまさか)に加増転封された森忠政(ただまさ)が翌年に築城にかかった平山城(やまじろ)である。忠政は江戸、駿府(すんぷ)、篠山(ささやま)、名古屋などの築城の手伝いも命ぜられていたため、津山築城には足かけ13年もかかり、1616年(元和2)に完成した。のち森氏は断絶し、かわって1698年(元禄11)に松平氏が入り、明治維新に至った。本丸、二の丸、三の丸の石垣がよく残る。城跡は国指定史跡。

[小和田哲男]

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[日本酒・本格焼酎・泡盛]銘柄コレクション 「津山城」の解説

つやまじょう【津山城】

岡山の日本酒。酒名は、山名忠政が築城した津山城にちなみ命名純米酒普通酒などがある。仕込み水は美作(みまさか)の国一宮・中山神社の神域から流出する宮川の伏流水。蔵元の「難波酒造」は明治中期創業。所在地は津山市一宮。

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事典・日本の観光資源 「津山城」の解説

津山城

(岡山県津山市)
日本100名城」指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

世界大百科事典(旧版)内の津山城の言及

【津山[市]】より

…幕末の津山洋学の伝統をひいて教育への関心は高く,津山工業高等専門学校,美作女子大学があり,近世以来の学問の伝統をうかがわせて文教都市的性格ももつ。弥生時代の集落遺跡の沼遺跡,津山城跡の鶴山公園(桜の名所),城主の御対面所として築かれた回遊式庭園の衆楽園,美作一宮の中山神社など史跡が多い。JR姫新線が通じ,津山線と因美線を分岐し,中国縦貫自動車道のほか国道53号,179号,181号線が通じる。…

【美作国】より

…同年その遺領のうち備前は池田忠継に,美作は森忠政に与えられ,翌年忠政は18万6500石の領主として入封した。 忠政は新規に津山城を築き,領内の商人,職人たちを集めて城下町を経営した。また藩財政の基礎を確立するため国内の総検地を実施し,郡奉行のもとに大庄屋,肝煎,庄屋などの制度を設け,地方支配機構を整備するとともに頭百姓の制度などを設け土豪たちの懐柔にも意を注いだ。…

※「津山城」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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