津田真道(読み)つだまさみち

精選版 日本国語大辞典 「津田真道」の意味・読み・例文・類語

つだ‐まさみち【津田真道】

明治初期の官吏、法学者。名を「しんどう」とも「まみち」とも。美作国岡山県)津山藩士。西周とオランダに留学、慶応元年(一八六五)帰国後、開成所教授。明治元年一八六八)「泰西国法論」を訳刊、明治政府の法律整備に貢献した。同六年明六社に参加。東京学士院会員、貴族院議員。文政一二~明治三六年(一八二九‐一九〇三

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デジタル大辞泉 「津田真道」の意味・読み・例文・類語

つだ‐まみち【津田真道】

[1829~1903]法学者。美作みまさかの人。名は「しんどう」「まさみち」とも。西周にしあまねとともにオランダに留学。帰国後、開成所教授。明治新政府の法律整備に尽力。また、明六社同人として、啓蒙活動を行った。日本で最初の西洋法律書「泰西国法論」を刊行。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「津田真道」の意味・わかりやすい解説

津田真道
つだまみち
(1829―1903)

啓蒙(けいもう)思想家、国法学者。美作国(みまさかのくに)(岡山県)津山藩士。幼名を喜久治、真一郎と称した。1850年(嘉永3)江戸に出て箕作阮甫(みつくりげんぽ)、佐久間象山(さくましょうざん)に学び、1856年(安政3)箕作塾塾頭格となる。翌1857年蕃書調所(ばんしょしらべしょ)教授手伝並となり、同僚の西周(にしあまね)と親交を結ぶ。1862年(文久2)西らとともにオランダに留学、フィセリングSimon Vissering(1818―1888)教授について国法学を学ぶ。1865年(慶応1)帰朝。翌1866年西周とともに開成所教授職となり、フィセリング講義『国法論』を訳して幕府に提出した。維新後は明治政府に出仕し「新律綱領」の編纂(へんさん)事業にあずかるなど法律面の整備に従事したのち、1871年(明治4)外務権大丞(ごんのだいじょう)、1872年大法官、1873年陸軍大丞、1876年元老院議官、1885年高等法院裁判官などを歴任した。1890年の国会開設にあたり衆議院議員に当選し副議長に選出された。1896年貴族院議員、1900年(明治33)男爵に列せられた。この間、1873年(明治6)の「明六社(めいろくしゃ)」の結成に参加し、旺盛(おうせい)な評論活動を展開した。啓蒙思想家としての津田本領因果律に基づく仏教の非現世的教えや、観念的な規範主義に基づく儒教の教説を排して、人間の欲望の充足や幸福の追求を積極的に肯定する功利主義的人間観を提示した点にあった。こうした人間観の背後には精神の自由に対する深い関心があった。『明六雑誌』に寄稿したかなりの数の論文は、「自由の権」は「固有の正権」であることを述べ、国家の近代化のためには出版・表現の自由を保障して国民それぞれが「自主自由」であることが肝要であると説くなど、啓蒙思想家として躍如たるものがあった。

[田代和久 2016年9月16日]

『大久保利謙編『明治文学全集3 明治啓蒙思想集』(1967・筑摩書房)』『堀経夫著『西周と津田真道』(『明治経済学史』所収・1935・弘文堂)』


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「津田真道」の意味・わかりやすい解説

津田真道
つだまみち

[生]文政12 (1829).6.25. 美作,津山
[没]1903.9.3. 東京
明治期の法学者,政治家。津山藩士。江戸で佐久間象山の門に入り,蘭学と兵学を学び,蕃書調所に出仕。文久2(1862)年オランダに派遣されライデン大学に留学。法学を専攻して慶応1(1865)年に帰国,開成所(→開成学校)教授となった。明治1(1868)年には日本で最初の西洋法律書『泰西国法論』を出版した。維新後,新政府にも登用され,刑法官権判事として新律綱領の編纂に従事した。明治4(1871)年に外務権大丞となり,欽差全権大使伊達宗城に随行して日清修好条規を締結。のち陸軍刑法,民法,治罪法の調査に従事し,1876年に元老院議官。1890年の第1回衆議院議員総選挙に当選し衆議院副議長を務め,1896年貴族院議員に勅選された。

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改訂新版 世界大百科事典 「津田真道」の意味・わかりやすい解説

津田真道 (つだまみち)
生没年:1829-1903(文政12-明治36)

明治初期の啓蒙思想家。美作国(岡山県)津山藩出身。江戸に出て箕作阮甫に蘭学,佐久間象山に兵学を学ぶ。蕃書調所教授手伝並となり,西周を知る。西らとともにオランダに留学し,フィセリングに師事して法学,経済学を修めて1865年(慶応1)に帰国し,日本で最初の近代法学書《泰西国法論》(1868)を出版した。維新政府に出仕して〈新律綱領〉の編纂に従い,また,日清修好条規締結に際して全権副使を務めた。この後,元老院議官,東京学士会院会員,民法編纂委員,衆議院議員,衆議院副議長(初代)を歴任。

 この間,1873年結成の明六社に参加し,啓蒙思想家として,条件付きで民撰議院設立に賛成し,《明六雑誌》に多くの論文を発表した。また,津田の建議により神武天皇即位の年が紀元1年と定められた。
執筆者:

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朝日日本歴史人物事典 「津田真道」の解説

津田真道

没年:明治36.9.3(1903)
生年:文政12.6.25(1829.7.25)
幕末明治期の洋学者,啓蒙思想家,官僚。美作国津山藩(兵庫県)藩士津田文行とイヨの長男として生まれる。維新以前に漢学,儒学,蘭学などを学び,安政4(1857)年蕃書調所教授手伝並となる。文久2(1862)年同所の同僚西周のほか榎本武揚,竹内玄同とオランダに留学する。維新後明治政府に出仕し各省に勤務する。明六社の創設(1874)に参画する。日本における最初の法学通論『泰西国法論』を翻訳刊行。元老院議官,東京学士院会員。帝国議会開設とともに衆院議員となり初代の同院副議長。のち貴族院議員,男爵。法学博士。全集が編纂された。<参考文献>津田道治『津田真道』,「津田真道の著作について」(『大久保利謙歴史著作集』5巻)

(中野実)

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百科事典マイペディア 「津田真道」の意味・わかりやすい解説

津田真道【つだまみち】

明治の法学者。津山藩出身。箕作阮甫,佐久間象山に洋学を学び蕃書調所教官となる。1862年西周,榎本武揚らとオランダに留学,フィセリングに学びその講義筆記を《泰西国法論》として出版。明六社同人。第1回衆議院副議長。のち貴族院議員。
→関連項目死刑廃止論西周

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「津田真道」の解説

津田真道 つだ-まみち

1829-1903 明治時代の法学者,官僚。
文政12年6月25日生まれ。美作(みまさか)(岡山県)津山藩士の子。漢学,洋学をまなび,蕃書調所教授手伝並となる。文久2年幕命で西周(にし-あまね)らとともにオランダに留学し,帰国後,開成所教授。フィセリングの講義訳を「泰西国法論」として出版する。のち新政府につかえ,明治6年明六社の創立に参加。元老院議官,衆議院初代副議長,貴族院議員。明治36年9月3日死去。75歳。
【格言など】天下は天下の天下にて一人も私有(わたくしのもの)に非ず(「天外独語」)

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「津田真道」の解説

津田真道
つだまみち

1829.6.25~1903.9.3

幕末~明治期の啓蒙家・官吏。美作国生れ。幼名喜久治。少年時代から国学・軍学を修め,江戸に出て箕作阮甫(みつくりげんぽ)・伊藤玄朴に洋学を学ぶ。蕃書調所に勤め,1862年(文久2)幕命により榎本武揚(たけあき)・西周(あまね)らとオランダに留学,法学を学ぶ。帰国後開成所教授に就任。68年(明治元)日本初の西洋法学書「泰西国法論」を翻訳・刊行。73年明六社に参加し,啓蒙的言論を展開。76年元老院議官,90年衆議院議員,のち貴族院議員。

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旺文社日本史事典 三訂版 「津田真道」の解説

津田真道
つだまみち

1829〜1903
明治時代の法学者・啓蒙思想家
美作 (みまさか) (岡山県)津山藩出身。箕作阮甫 (みつくりげんぽ) に蘭学を学び,蕃書調所教官となる。1862年幕命により,西周 (にしあまね) らとオランダに留学。明治新政府では,司法省・元老院などにつとめ,新律綱領などの編纂にあたった。また明六社創立に加わり,啓蒙思想家としても活躍した。

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世界大百科事典(旧版)内の津田真道の言及

【実学】より

…この考え方は1872年(明治5)の〈学制〉の指導理念となった。代表的な実学者としては,西周(あまね),津田真道(まみち),加藤弘之,神田孝平,福沢諭吉,箕作麟祥(りんしよう)らが数えられる。西周は健康,知識,富有の三つを人生の宝とし,市民社会的倫理を基盤とする実学を主張,津田真道は朱子学的なリゴリズムからの人間性の解放を唱え,情欲を人間性の基本とするが,知識と慣習による情欲こそ開化人特有の情欲であり,天理と人欲は相反するものでないと考えた。…

【フィセリング】より

…オランダの経済学者。1863年オランダのライデンで西周と津田真道に,治国学の基本として自然法,国際法,国法,経済学および統計学を教授したことで知られている。その講義は後に翻訳され,西周《万国公法》(1868),神田孝平《性法略》(1871),津田真道《泰西国法論》(1868)および,同《表記提綱》(1874)として公刊され,揺籃期の日本の法学・政治学に影響を及ぼした。…

【封建制度】より

… 三浦の場合も,〈公家制度の発達〉のなかでは大化改新以前を中国的概念でいう封建制の時代とみていたのに,〈“武家”制度の発達〉という論考にいたって,西洋的概念を用いはじめており,〈武家の世〉=〈封建の世〉という発想が中国的概念から西洋的概念への橋渡しをしているのである。もっとも,幕末・維新期からFeudalismusやLehnswesenを封建と訳すことが定着したわけでなく,津田真道の《泰西国法論》(オランダの憲法学者フィセリングの講義の邦訳。1868)は,〈籍土の制〉と訳しており,加藤弘之抄訳・ブルンチュリ《国法汎論》(1876)もこれを踏襲している。…

※「津田真道」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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