浅草文庫(読み)あさくさぶんこ

精選版 日本国語大辞典 「浅草文庫」の意味・読み・例文・類語

あさくさ‐ぶんこ【浅草文庫】

[一] 江戸時代、江戸浅草に板坂卜斎、堀田正盛、木村重助などが設けた私設文庫。また、明治大正の学者大槻如電が設けた文庫。
[二] 浅草の蔵屋敷跡に、明治七年(一八七四)設立された官設図書館上野図書館前身

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デジタル大辞泉 「浅草文庫」の意味・読み・例文・類語

あさくさ‐ぶんこ【浅草文庫】

明治8年(1875)に浅草蔵前に設けられた官立の公開図書館。昌平坂学問所和学講談所などの蔵書約11万冊を受け継いだもので、現在、その大部分国立公文書館内閣文庫保存
江戸時代、浅草に居住した医師板坂卜斎、大名堀田正盛、御家人木村重助らの私設文庫。また、明治・大正の学者大槻如電おおつきじょでんが設けた文庫。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「浅草文庫」の意味・わかりやすい解説

浅草文庫
あさくさぶんこ

1875年(明治8)から1881年までの7年間、東京・浅草蔵前(くらまえ)に設けられた官立の公開図書館。江戸幕府昌平坂(しょうへいざか)学問所、和学講談所などの蔵書を受け継いだもので、和漢の古書約11万冊を所蔵し、学術研究者によく利用された。その蔵書の大部分はいま国立公文書館に保存されている。そのほか、江戸時代に浅草に居住していた医師板坂卜斎(ぼくさい)、大名堀田正盛(ほったまさもり)、御家人(ごけにん)木村重助らは、それぞれの蔵書を浅草文庫と称したと伝え、また、明治・大正の学者大槻如電(おおつきじょでん)もその蔵書印にこの文庫名を用いた。

[福井 保]

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百科事典マイペディア 「浅草文庫」の意味・わかりやすい解説

浅草文庫【あさくさぶんこ】

紀州和歌山藩主徳川頼宣の医官板坂卜斎(ぼくさい)が寛永年間(1624年―1644年)に江戸浅草に設けた私文庫。一般に公開したことで著名。明暦3年(1657年)の江戸大火災で焼失
→関連項目正倉院文書

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「浅草文庫」の意味・わかりやすい解説

浅草文庫
あさくさぶんこ

江戸浅草に明暦1 (1655) 年将軍家侍医板垣卜斎が設けた図書館。そのほかに木村重助,堀田正盛が設けた私立同名の文庫もある。また 1874年,文部省所管の旧幕府昌平坂書籍館を浅草に移し内務省が管理した図書館も当初同じ名をもち,その蔵書は,東京書籍館 (しょじゃくかん) に引継がれ,いまでは国立国会図書館,国立公文書館などに伝わる。

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世界大百科事典(旧版)内の浅草文庫の言及

【図書館】より

…後者には江戸の長門屋,名古屋の大惣などが知られており,いわば今日の公共図書館と学術図書館を兼ねるだけの蔵書をもっていた。なお民間の文庫としては,2世板坂卜斎の浅草文庫,仙台藩士青柳文蔵の青柳文庫などが名高い。
[近代以降]
 福沢諭吉は《西洋事情》で,西洋諸国の図書館,すなわち彼の表現によれば〈ビブリオテーキ〉の存在を紹介し,これが万人の利用に供されているさまに感服した。…

【文庫】より

…そのほか近世には水戸の彰考館文庫,加賀前田氏の尊経閣文庫,近衛家の陽明文庫など,大名や藩による文庫のほか,篤学者による文庫,たとえば堀河塾の古義堂文庫,屋代弘賢の不忍(しのばず)文庫などもふえた。これらは上層階級向けの閉鎖的なものだったが,医師板坂卜斎の浅草文庫は,庶民に開放されたものとして特筆さるべきである。近代では,南葵(なんき)文庫,蓬左(ほうさ)文庫,松廼舎(まつのや)文庫,静嘉堂文庫,東洋文庫などが著名。…

※「浅草文庫」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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