浜口陽三(読み)ハマグチヨウゾウ

デジタル大辞泉 「浜口陽三」の意味・読み・例文・類語

はまぐち‐ようぞう〔‐ヤウザウ〕【浜口陽三】

[1909~2000]版画家。和歌山の生まれ。昭和5年(1930)東京美術学校塑造そぞう科を中退して渡仏水彩油彩銅版画などを制作。昭和14年(1939)帰国。第二次大戦後は銅版画に専念し、独自のカラーメゾチント技法で世界的に高い評価を受けた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「浜口陽三」の意味・わかりやすい解説

浜口陽三
はまぐちようぞう
(1909―2000)

版画家。明治42年4月5日和歌山県生まれ。家は代々千葉県銚子(ちょうし)でしょうゆ醸造を営み、彼も6歳で銚子に移住。東京の京華(けいか)中学校の終わりごろから小林万吾(まんご)(1870―1947)に洋画を、建畠大夢(たてはたたいむ)に彫刻を学ぶ。1927年(昭和2)東京美術学校塑造科に入学したが、梅原龍三郎(りゅうざぶろう)の助言もあり1930年中退して渡仏。サロン・ドートンヌほか油絵を出品、1937年自由美術家協会創立パリから参加。パリで水彩画と銅版画の個展を開き、1939年帰国。第二次世界大戦後、本格的に銅版画を始め、1953年(昭和28)ふたたび渡仏し、定住。翌年サロン・ドートンヌ会員となる。1955年ごろからは、カラーメゾチント版画を手がけ、1957年には第1回東京国際版画ビエンナーレ展で国立近代美術館賞、またサン・パウロ・ビエンナーレ展で版画最優秀賞を受賞する。翌年毎日美術賞を受ける。その後も世界各地の美術展に招かれ、受賞も多数ある。1981年にはパリからアメリカのサンフランシスコに移住。1984年サライエボ冬季オリンピックの記念ポスターに作品が用いられるなど、国際的に高い評価を受けた。1996年(平成8)帰国。代表作に『パリの屋根』『青いガラス』『四つのさくらんぼ』『西瓜(すいか)』ほかがある。夫人の南桂子(みなみけいこ)(1911―2004)も版画家であった。

[小倉忠夫・柳沢秀行]

『北嶋廣敏著『浜口陽三の世界――愛と円環』(1977・湯川書房)』『『浜口陽三全版画』(1985・Mギャラリー)』『『浜口陽三全版画作品集』(2000・中央公論美術出版)』『浜口陽三著、三木哲夫編『パリと私――浜口陽三著述集』(2002・玲風書房)』

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百科事典マイペディア 「浜口陽三」の意味・わかりやすい解説

浜口陽三【はまぐちようぞう】

版画家。和歌山県生れ。東京美術学校塑造科中退。1930年渡仏し,油絵銅版画を独習,1939年帰国。戦後は銅版画に専念する。1957年サンパウロ・ビエンナーレ版画部門大賞受賞。1985年国立国際美術館で回顧展。
→関連項目サン・パウロ・ビエンナーレ自由美術家協会メゾティント

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「浜口陽三」の意味・わかりやすい解説

浜口陽三
はまぐちようぞう

[生]1909.4.5. 和歌山
[没]2000.12.25. 東京
版画家。 1930年東京美術学校彫刻科中退。同年渡仏,39年帰国。 48年頃から本格的に銅版画に取組み,メゾチント技法を駆使した版画を制作。 53年再渡仏。 57年サンパウロ・ビエンナーレ版画部門で大賞,同年第1回東京国際版画ビエンナーレで国立近代美術館賞,60年ユーゴ国際版画ビエンナーレグランプリなど数々の国際展で受賞を重ねた。 81年にパリからサンフランシスコに移住。 84年サラエボ冬季オリンピック記念ポスターに『さくらんぼと青い鉢』が採用された。自由美術家協会,日本版画協会,新樹会会員。主要作品『パリの屋根』 (1956,東京国立近代美術館) ,『葡萄と柘榴』など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「浜口陽三」の解説

浜口陽三 はまぐち-ようぞう

1909-2000 昭和-平成時代の版画家。
明治42年4月5日生まれ。10代浜口儀兵衛の3男。南桂子の夫。昭和5年東京美術学校(現東京芸大)を中退し,14年まで滞仏。23年ごろから銅版画に専念し,独自のカラー-メゾチント技法を開発。32年サンパウロ-ビエンナーレで日本人初の版画大賞を受賞するなど国際的に活躍。野菜や果物をモチーフに静寂な世界を創造した。平成12年12月25日死去。91歳。和歌山県出身。

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