浦山桐郎(読み)ウラヤマキリオ

デジタル大辞泉 「浦山桐郎」の意味・読み・例文・類語

うらやま‐きりお〔‐きりを〕【浦山桐郎】

[1930~1985]映画監督兵庫の生まれ。「キューポラのある街」で監督デビューし、注目を集める。生涯で監督した作品は9本と寡作ながら、どの作品も高く評価された。他に「非行少女」、遠藤周作原作「私がてた女」、五木寛之原作「青春の門」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「浦山桐郎」の意味・わかりやすい解説

浦山桐郎
うらやまきりお
(1930―1985)

映画監督。兵庫県生まれ。名古屋大学卒業後、1954年(昭和29)日活に入社。貧しさに負けず生きていく少年少女群像を、公式的な社会批判に堕することなくさわやかに描いた処女作『キューポラのある街』(1962)で注目された。この「いかに生くべきか」の人生論的主題は『非行少女』(1963)では女主人公の号泣しながらの旅立ちを、『私が棄(す)てた女』(1969)では棄てられた女の無言の悲しみを、情感豊かに強調することでさらに内省化された。五木寛之(ひろゆき)の同名小説の映画化『青春の門』(1975)、『青春の門・自立篇(へん)』(1977)ではこの問いかけがより多面的な相のなかで扱われている。

[佐伯知紀]

資料 監督作品一覧

キューポラのある街(1962)
非行少女(1963)
私が棄てた女(1969)
青春の門(1975)
青春の門 自立篇(1977)
龍の子太郎(1979)
太陽の子てだのふあ(1980)
暗室(1983)
夢千代日記(1985)

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百科事典マイペディア 「浦山桐郎」の意味・わかりやすい解説

浦山桐郎【うらやまきりお】

映画監督。兵庫県生れ。1954年名古屋大卒業後日活に入社し,川島雄三今村昌平などの助監督につく。吉永小百合主演の《キューポラのある街》(1962年)で監督デビュー。文学作品を主な題材に,人間と社会を倫理的な視点で映像化した。寡作でも知られた。主な作品にモスクワ映画祭金賞を受賞した《非行少女》(1963年),遠藤周作原作《私が棄てた女》(1969年),五木寛之原作《青春の門》(1975年),吉行淳之介原作で,にっかつ創立70周年記念作品の《暗室》(1983年),《夢千代日記》(1985年)がある。
→関連項目小栗康平

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「浦山桐郎」の解説

浦山桐郎 うらやま-きりお

1930-1985 昭和時代後期の映画監督。
昭和5年12月14日生まれ。昭和29年日活にはいり,今村昌平,川島雄三の助監督をつとめる。37年「キューポラのある街」で監督としてデビュー。「非行少女」「私が棄てた女」「青春の門」など評価のたかい9作品をのこした。昭和60年10月20日死去。54歳。兵庫県出身。名大卒。

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