浦戸城(読み)うらとじょう

日本の城がわかる事典 「浦戸城」の解説

うらとじょう【浦戸城】

高知県高知市浦戸にあった中世の平山城(ひらやまじろ)。桂浜をのぞむ高台に三重の天守を擁する本丸を設け、二の丸、三の丸、出丸を構えていた。南北朝時代からこの地には土豪の砦が築かれていたとされるが、詳しいことはわかっていない。戦国時代末期、長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)は、大高坂(おおたかさ)(現在の高知城所在地)に新城築城して先祖伝来の岡豊城(おこうじょう)から本拠を移したが、水害が多いために、再び岡豊城に戻った。1591年(天正19)浦戸城に防備の強化をほどこして移ったが、子の盛親(もりちか)が関ヶ原の戦いに敗れたために、長宗我部氏は滅ぶ。新たに山内一豊(やまのうちかずとよ)が土佐藩主となったが、長宗我部氏の旧臣が城の引き渡しを拒んで籠城、これを謀略により鎮圧した(浦戸一揆)。1601年(慶長6)一豊は高知城の築城に着手、1603年(慶長8)に完成して移ったために、浦戸城は廃城となった。第二次世界大戦前まで古井戸や石塁、土塁などの遺構は残っていたが、戦後の観光開発のために、現在は本丸の石垣がわずかに残るのみである。JR土讃本線高知駅からバスで35分、桂浜荘前下車徒歩3分。

出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の浦戸城の言及

【土佐国】より

…守護は不明。1335年(建武2)12月に始まる南北朝内乱の過程では,翌年正月,土佐浦戸城で北党の津野,三宮,曾我の諸氏が南党と戦っており,以後,香美(かみ)郡深淵城,土佐郡一宮,また大高坂(おおだかさ)城,安楽寺城,さらに高岡郡丸山・神崎城と攻防戦が繰りひろげられる。しかし,この年の10月に京都では南北朝一時の和議が整ったことによるのか,土佐もおおむね静謐で,その後3年,1339年(延元4∥暦応2)の暮れから翌年正月にかけて,再び大高坂城攻防戦が行われ,激戦ののち,城は陥落する。…

※「浦戸城」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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