浦浜(読み)うらはま

精選版 日本国語大辞典 「浦浜」の意味・読み・例文・類語

うら‐はま【浦浜】

〘名〙 浜辺海辺
御伽草子浦風(室町時代物語集所収)(室町末)上「うらはまの事なれば、れうをのみ業として、うき世を、わたり侍りけるが」

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「浦浜」の意味・わかりやすい解説

浦・浜 (うらはま)

一般に,海に突出した崎・岬に対して陸地が湾曲して湖海を抱えこんでいるところを浦といい,岩塊の露出した磯に対して砂泥や小石からなる海岸平地を浜という。日本の前近代を通じて漁村を表示する地名用語。古代社会においては,律令制的な公私共利の原則の下に浦浜の排他的領有は禁じられ,地域共同体全体による用益が行われていたが,他面それと競合する形で,王権に直属して(にえ)を貢納する贄人・海部(あまべ)などの漁民集団の漁場利用も存在していた。そして,中世初期,平安時代以降,後者系譜をひいて,権門寺社による海民編成が進行し,浦浜の私的・荘園制的領有が発展する。淡路国の浜浦に王臣家牒をもった漁民3000余人が来住したという9世紀半ばの事件は,それらの漁民が,新開漁場を求めて活発な移住・出漁を開始したことを示している。彼らの活動は,原始時代から徐々に進展してきた日本列島各地の浦浜の開発を新たな段階に推し進めた。彼らは,王家供御人(くごにん)または有力神社の神人(じにん)などの身分を帯び,例えば鴨社神人が〈櫓(ろ)棹(さお)杵(かし)の通路の浜は当社供祭所たるべし〉と号したような特権的意識をもって,諸国の浦浜に進出していったのである。そこに創出された荘園制下の中世漁村の歴史的特徴は次の二つにまとめられる。(1)広域に分布する諸浦が同一の本所を戴いて親浦-枝浦の関係を構成し,その実力により広域的な出漁・海上交通権を保持していたこと。(2)個々の浦に対する荘園本所の上級領有権の内部には,〈両方山の懐の内はその浦につき漁仕候〉という〈浦々習〉が示すように,浦の民衆による地先水面や後背山野への共同体所有が潜在していたこと。

 ところで,例えば讃岐国仁尾浦の鴨社神人漁民が,その神人身分を保ったまま守護大名によって編成されていったように,このような荘園制的体制は中世後期において,その身分的諸関係を維持したまま実質を変容させていく。浦浜の漁民は大名への贄肴の献上,水手(かこ)・軍役への動員などの浦役を課され,大名権力の領国支配に組みこまれていったのである。戦国時代から近世初頭の争乱,とくに豊臣秀吉朝鮮出兵契機に全国の漁村に水手役が賦課される中で,この動向頂点に達する。そこでは,荘園制的な浦の上級領有権が解消し,その下に潜在していた共同体的水面領有が村中総入会の形をとって純粋に現れ,神人・供御人などの特権的漁民身分も特定の場合を除いて消滅した。領国権力に対して水手役を負担するもののみが漁民身分として公認され,水手役を負担する浦浜のみが,浦方・浜方として村方・地方から区別されて漁業権を認定される近世的漁業制度が成立するのである。そしてこれ以降,近世漁業は,浦浜の世界を基盤としながらも,浦方と地方の漁業権相論,沖合漁業への進出,海産物の商品的加工・肥料化など全領国経済にかかわる問題として展開していくこととなる。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android