海乞食(読み)うみこじき

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「海乞食」の意味・わかりやすい解説

海乞食
うみこじき

ゼーゴイセン」のページをご覧ください。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の海乞食の言及

【ウィレム[1世]】より

フェリペ2世の下でホラント,ゼーラント,ユトレヒト3州の総督(1559‐67,72‐84)を務めたが,専制政治に反対し,エグモント伯らと同盟して王の腹心A.P.deグランベルを退去させた(1564)。その後も政府批判の態度を変えず,67年アルバ公の来任に先立って故郷に亡命,自ら起こした解放の軍はいずれも失敗したが,72年末ホラントに赴き,〈海乞食(乞食団)〉の活躍により進展中の反乱を指導した。76年〈ガンの和平〉により一時は全ネーデルラント結束の宿願を果たし,ブリュッセル,ついでアントワープでこの結束の強化に腐心したが,79年アラス,ユトレヒト両同盟の成立とともに南北間に深い亀裂が生じた。…

【オランダ】より

…貴族の反抗,聖像破壊運動(1566),アルバ公に率いられたスペイン軍の到着(1567)とアルバ公の圧政は,ついに八十年戦争(1568‐1648)を引き起こした。〈海乞食〉(乞食団)の蜂起による反乱側のホラント,ゼーラント両州占拠(1572)を経て,ネーデルラント北部の7州は,1579年ユトレヒト同盟を結成し,81年スペイン人に対する独立を宣言した。反乱の指導者オラニエ公ウィレム1世が84年暗殺されると,オルデンバルネフェルトが共和国の政治を指導し,オラニエ公の遺子マウリッツを指揮官にスペイン軍と戦い,1609年にはスペインと12年間の休戦条約を結んで実質的な独立を達成した。…

【オランダ共和国】より

… 68年ドイツに亡命していたオラニエ公はネーデルラントに進攻して失敗するが,ここに八十年戦争(‐1648)の幕が切って落とされる。72年,海外に亡命していた〈海乞食zeegeuzen〉の船隊は奇襲作戦でホラント,ゼーラント両州の諸都市を占拠した。オラニエ公は両州の総督(スタットハウデル)に任じられて反乱の指導者に推され,スペイン軍に包囲されたアルクマールやライデンを次々に解放した。…

【乞食団】より

…フランス語のgueuxをオランダ語化してgeuzenの語が用いられる。軍事上とくに重要な働きをした〈海乞食Zeegeuzen,Watergeuzen〉は,政治的または宗教的理由から亡命した貴族・市民のほか,海上に冒険を求めた貧民や失業者で構成される集団で,ドイツのエムデン,フランスのラ・ロシェル,イギリスの諸港を根城に商船の拿捕(だほ),海岸集落の略奪を行った。彼らは68年オランイェ公から私拿捕特許状を得,その一隊が72年4月1日ブリーレを占領すると,ホラント,ゼーラントの諸都市も次々に彼らの軍門に下ったのである。…

※「海乞食」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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