清原国貞(読み)きよはら・くにさだ

朝日日本歴史人物事典 「清原国貞」の解説

清原国貞

生年生没年不詳
平安時代院政期の建築工匠。承徳2(1098)年に木工寮木工長上から正六位上修理権大工になり,康和4(1102)年には尊勝寺諸堂造営に携わって従五位下に任ぜられたのをはじめ,康和5年高陽院,天永3(1112)年大炊殿,永久2(1114)年法勝寺新阿弥陀堂,元永1(1118)年最勝寺,元永2年仁和寺と,白河法皇による造営の大半従事,当時の京の建築界を代表する人物。久安5(1149)年延勝寺の造営にも従事。保元2(1157)年大内裏造営に当たった清原貞時は国定の直系か子孫と推定されている。<参考文献>太田博太郎「工匠から見た藤原建築界」(『日本建築史論集』1巻)

(山岸常人)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「清原国貞」の解説

清原国貞 きよはらの-くにさだ

?-? 平安時代後期の建築工匠。
承徳(じょうとく)2年(1098)修理(しゅり)権大工(ごんのだいく)となり,康和4年従五位下。高陽院,大炊殿(おおいのとの),法勝寺(ほっしょうじ)新阿弥陀堂,最勝寺,仁和(にんな)寺など白河法皇の造営物の大半を手がける。久安5年延勝寺の造営にもしたがった。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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