清岩里廃寺(読み)せいがんりはいじ(英語表記)Ch`ǒngamni-p`aesa

改訂新版 世界大百科事典 「清岩里廃寺」の意味・わかりやすい解説

清岩里廃寺 (せいがんりはいじ)
Ch`ǒngamni-p`aesa

朝鮮民主主義人民共和国,平壌特別市大聖区域清岩里にある三国時代高句麗の寺院址。大同江右岸の清岩里土城内にあり,1938年に発掘調査された。その結果,平面が八角形の建物を中央に置き,その東・西・北の三方堂宇と,南方に中門を配置するという,一塔三金堂式の伽藍であることがわかった。北方建物の北側の台地でさらに数棟の建物跡が認められたが,いずれも高麗時代のものである。《三国史記》によると,文咨王7年(498)に〈秋七月創金剛寺〉と記す。《東国輿地勝覧》には,〈金剛寺遺址在府東北八里〉とあり,また,寺院址の南東に当る酒巌山を〈酒巌在府東北十里〉とする。つまり金剛寺址は酒巌とともに,平壌府の北東方にあって,現在の清岩里廃寺の位置と距離的にもそれほど大きな隔たりがないことなどから,この寺院址は,《三国史記》記載の金剛寺跡に比定されている。一方で,寺院址出土の創建時のものと思われる瓦の型式について,記録より古く5世紀初頭に上限を求める見解もみられる。この寺院址の伽藍配置は日本の奈良県飛鳥寺のそれと密接な関係をもつと考えられる。
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世界大百科事典(旧版)内の清岩里廃寺の言及

【飛鳥美術】より

…法興寺の伽藍配置は四天王寺式とみなされていたが,1956‐57年の発掘によって,塔を中心に三面を金堂が囲むという予想外の形式が明らかになった。これは日本や百済にも見られず,高句麗の清岩里廃寺に類似するにすぎない。東西金堂は重成基壇(二重基壇)で,下成基壇に礎石が並ぶ例は百済の扶余にも存する。…

【高句麗】より

…冠の透し彫には草花文や忍冬文があり,これらは北魏から受容し,新羅や日本に伝えたものとみられる。平壌市東方の清岩里廃寺の伽藍配置は,一塔三金堂様式で,百済の扶余軍守里寺跡や日本最古の飛鳥寺跡と同じ配置である。高句麗寺院では軒瓦のさきにつく瓦当が盛行し,その特色は赤色系統で蓮華文が多く,線が鋭く,陰陽が明瞭な点である。…

【朝鮮美術】より

… 4世紀後半に仏教が高句麗に導入されて各地に大規模な伽藍が建設された。平壌の東北にある清岩里廃寺,上五里廃寺址,平原郡元五里廃寺址などの寺址が有名である。清岩里と上五里は八角の建物を中心に左右と後方の3方に仏殿を配し,日本の飛鳥寺との伽藍配置の類似が注目される。…

※「清岩里廃寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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