清水喜助(2代)(読み)しみず・きすけ

朝日日本歴史人物事典 「清水喜助(2代)」の解説

清水喜助(2代)

没年:明治14.8.9(1881)
生年:文化12.11(1815)
幕末明治期の大工,建設業者。清矩と名乗る。越中国礪波郡北川村(富山県井波町)の小間物商,北市屋清八の次男本姓藤沢清七。江戸に出て初代清水喜助(清水建設の創業者)のもとに弟子入りし,見込まれて入り婿となる。以後,横浜開港に伴う幕府の工事などを通して事業を大きく発展させ,建設業の基礎を整えた。幕末から明治にかけて建設された外国人旅館(通称築地ホテル館)の施工,明治初期の三井組の本拠地である海運橋と駿河町の建物(前者はのちの第一国立銀行)の設計・施工を行う。これらの建物は明治初期に全国各地に建設された擬洋風建築に大きな影響を与えた。<参考文献>清水建設百五十年史編纂委員会編『清水建設百五十年』

(初田亨)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「清水喜助(2代)」の解説

清水喜助(2代) しみず-きすけ

1815-1881 幕末-明治時代建築家。
文化12年11月生まれ。初代喜助の娘婿。初代の横浜進出をたすけ,安政6年2代目を襲名。築地ホテル館,第一国立銀行などの和洋折衷の建築を設計施工。現在の清水建設の基礎をかためた。明治14年8月9日死去。67歳。越中(富山県)出身。本姓は藤沢。前名は清七。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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