清沢 満之(読み)キヨザワ マンシ

20世紀日本人名事典 「清沢 満之」の解説

清沢 満之
キヨザワ マンシ

明治期の僧侶(真宗大谷派),宗教哲学者,教育家 大谷大学初代学長;西方寺住職。



生年
文久3年6月26日(1863年)

没年
明治36(1903)年6月6日

出生地
尾張国名古屋黒門町(愛知県名古屋市黒門町)

本名
清沢 貞太郎

旧姓(旧名)
徳永

別名
幼名=満之助

学歴〔年〕
帝大文科大学哲学科〔明治20年〕卒

経歴
名古屋藩士徳永永則の子。明治11年真宗大谷派本山で得度し、東本願寺育英学校に入学。15年東京大学に入り、帝大文科大学哲学科を卒業後、大学院に進む。第一高等学校、哲学館(東洋大学)の講師を経て、21年真宗大谷派の京都府尋常中学校校長となり、高倉学僚でも宗教哲学を講じた。同年結婚により、愛知県大浜の西方寺住職となり清沢姓を継ぐ。1年後、校長を辞任、平教員となり禁欲的な修道生活に入ったが、健康を害した。また宗門改革運動にもかかわり、白川党に参加して活動したが、30年除名された。32年僧籍を回復、新法主光演の招請で東上、新法主の補導に当たった。また34年東京に移転した真宗大学(現・大谷大学)の初代学監(学長)に就任。33年本郷森川町の居宅に浩々洞の名を掲げ、34年雑誌「精神界」を発刊、佐々木月樵らと精神主義運動を展開した。徹底した他力主義、主観主義的な主客合一の信念、実践の重視を内容とし、近代的な自我確立によって仏教の近代化をめざした。やがて結核が進み郷里に退いた。著書に「精神講話」「仏教講話」「宗教哲学骸骨」「清沢満之全集」(全8巻)などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「清沢 満之」の解説

清沢 満之 (きよざわ まんし)

生年月日:1863年6月26日
明治時代の僧侶。真宗大学監
1903年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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