清麿(読み)キヨマロ

デジタル大辞泉 「清麿」の意味・読み・例文・類語

きよまろ【清麿】

[1813~1855]江戸後期の刀工信濃の人。姓は山浦。通称たまき。銘は源清麿。江戸の四谷に住み、四谷正宗とよばれた。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「清麿」の意味・読み・例文・類語

きよまろ【清麿】

江戸後期の刀工。信濃の人。姓は山浦。銘は源清麿。江戸の四谷に住み、四谷正宗とよばれた。文化一〇~嘉永七年(一八一三‐五四

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「清麿」の解説

清麿

没年:嘉永7.11.14(1855.1.2)
生年:文化10.3.6(1813.4.6)
江戸末期の刀工。名は環。信州上田藩の郷士の子として,佐久郡赤岩(長野県東部町滋野)に生まれた。はじめ兄真雄と共に上田藩工河村寿隆に学び,独立して松代に移ったが数年で江戸に出て,のちに講武所寄合となる窪田清音のもとで鍛刀する。銘ははじめ完利,次いで正行,弘化3(1846)年に清麿と改名した。作品は初期は師寿隆風の丁字乱れの刃文であったが,弘化ごろから沸の強い独特の乱刃の作風を展開し,名声が上がり,その住所と鎌倉時代の名工正宗にちなんで四谷正宗と称された。しかし病を苦にして42歳で自刃した。<参考文献>中島宇一『清麿大鑑

(原田一敏)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「清麿」の解説

清麿 きよまろ

1813-1855* 江戸時代後期の刀工。
文化10年3月6日生まれ。真雄(まさお)の弟。信濃(しなの)(長野県)上田藩の郷士の子。藩の刀工河村寿隆に師事し,正行と銘をきる。のち江戸の兵学者窪田清音(くぼた-すがね)の庇護(ひご)をうけ志津三郎兼氏(かねうじ)の作風を研究,源清麿と銘をあらためる。嘉永(かえい)7年11月14日病苦のため自刃(じじん)。42歳。重要美術品の刀4口(ふり)が現存する。姓は山浦。名は環。号は一貫斎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「清麿」の解説

清麿 (きよまろ)

生年月日:1813年3月6日
江戸時代末期の刀工
1855年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android