済南(さいなん)(読み)さいなん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「済南(さいなん)」の意味・わかりやすい解説

済南(さいなん)
さいなん / チーナン

中国、山東(さんとう)省北西部、黄河(こうが)下流右岸にある副省級市(省と同程度の自主権を与えられた地級市)。同省の省都で、1929年に市となった。市中(しちゅう)、章丘(しょうきゅう)、長清(ちょうせい)など7市轄区、商河(しょうが)など3県を管轄する(2017年時点)。人口713万2000、市轄区人口364万5400(2015)。市北東の黄河流域には華北(かほく)平原が広がり、南東には魯中(ろちゅう)山地泰山(たいざん)が横たわる。年平均気温は13.8℃、年降水量は685ミリメートル(2009)。

 市域は明(みん)代からの堀で囲まれた内城と外城、さらに中華人民共和国成立後に発展した西方の市中区に分けられる。内城南方の石灰岩地域では突泉(ほうとつせん)や黒虎泉(こくこせん)などのカルスト泉が湧出、「家々に泉水あり」ともいわれ、泉城の名がある。和歌山市、山口市と姉妹都市提携を結んでいる。

[駒井正一・編集部 2017年12月12日]

歴史

戦国時代には斉(せい)の濼邑(らくゆう)が置かれ、宋(そう)代には済南府となった歴史的都市で、食糧、油など周辺の農産物の集散センターとして発展した。1904年にはドイツが青島(チンタオ)から膠済(こうさい)線を敷き、山東経営を進めたが、1928年(昭和3)日本が占領済南事件)。国共内戦を経て、1948年9月に解放された。

[駒井正一 2017年12月12日]

産業・交通

近代工業が導入されたのは19世紀後半と早く、1904年には開港されたほか、膠済線が開通したことで、工業の発展が促された。解放前からの製粉紡績工業などを基礎に、解放後は黄台(こうだい)火力発電所をはじめ、国営製紙工場や自動車、化学肥料、工作機械工場などが建設され、工業都市に成長した。1990年代以降は重工業偏重であった産業構造の調整が図られ、電子工業や軽工業なども加わった総合工業都市へと変容した。伝統工芸では、山東刺しゅう(魯繍(ろしゅう))が特産である。章丘ネギ、生薬阿膠(あきょう)などの農産物も有名。

 京滬(けいこ)線と膠済線の分岐点であり、邯済線(邯鄲(かんたん)―済南)、京滬高速鉄道、膠済高速鉄道なども通じる。黄河には京滬線の済南黄河大橋が架かる。徳州(とくしゅう)、臨清(りんせい)を経て河北(かほく)省へ向かう自動車道と、済寧(さいねい)を経て河南(かなん)省、江蘇(こうそ)省方面へ向かう自動車道も通り、交通の要所を占める。済南遥墻(ようしょう)国際空港からは国内外の各都市への航空路が開かれている。

[駒井正一・編集部 2017年12月12日]

文化・観光

山河や湖沼の美しい自然風景で知られる。清(しん)の乾隆帝(けんりゅうてい)が揮毫(きごう)した「天下第一泉」の額が飾られた突泉に加え、千仏山(せんぶつざん)、大明湖(だいめいこ)は、済南の三大名勝といわれる。また、歴史的都市であるため旧跡が多く、長清区にある霊岩寺は、約1600年の歴史を有する古刹(こさつ)である。

 省の教育の中心地で、多くの高等教育機関が集まる。そのなかでも山東大学は、1901年官立山東大学堂として設立され、省の近代教育普及の礎となった。

[曲 揚 2017年12月12日]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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