日本大百科全書(ニッポニカ) 「渋谷定輔」の意味・わかりやすい解説
渋谷定輔
しぶやていすけ
(1905―1989)
詩人、農民運動家。埼玉県南畑(なんばた)村(富士見市)生まれ。自・小作農の長男で、13、14歳のころ大杉栄(さかえ)の論集や石川啄木(たくぼく)の詩歌集などに接して影響を受ける。1922~24年(大正11~13)、県下きっての大地主に勝利した南畑小作争議に参加した。25年、中西伊之助らと農民自治会を創立。26年、詩集『野良(のら)に叫ぶ』を刊行。29年(昭和4)全国農民組合に参加、埼玉県連書記長、のち中央委員となり、30年には布施辰治(ふせたつじ)、伊東三郎、般若豊(はんにゃゆたか)(埴谷雄高(はにやゆたか))らと全農左派の機関誌『農民闘争』を創刊した。37年、埼玉人民戦線事件に連なって逮捕され、4年の実刑を受ける。戦後は日本農民文学会結成に参画。大正末年の生活記録『農民哀史』、評論集『大地に刻む』、実践報告『農民哀史から六十年』を刊行。82年(昭和57)から思想の科学研究会会長。
[高橋春雄]
『『定本野良に叫ぶ』(1964・平凡社)』▽『『農民哀史』(1970・勁草書房)』▽『安田常雄著『出会いの思想史――渋谷定輔論』(1981・勁草書房)』