渡辺勇次郎(読み)わたなべゆうじろう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「渡辺勇次郎」の意味・わかりやすい解説

渡辺勇次郎
わたなべゆうじろう
(1887―1956)

日本に本格的ボクシングを植え付けた「日本ボクシングの父」。栃木県生まれ。県立真岡(もおか)中学4年生のときストライキの首謀者として放校され、単身渡米してボクシングを習得、太平洋岸地方で活躍した。1921年(大正10)帰国し、同年12月25日、東京・下目黒(現目黒区)に「日本拳闘倶楽部(けんとうくらぶ)」を創立、正しいボクシングを教えた。その門下からは荻野貞行(おぎのさだゆき)、横山金三郎、田中禎之助(ていのすけ)、川田藤吉(とうきち)、高橋一男、臼田(うすだ)金太郎、岡本不二(ふじ)、ピストン堀口笹崎僙(たけし)、アマでは石川輝(てる)らが育ち、日本のプロ・アマ・ボクシング界の基盤をつくった。昭和31年6月28日肝臓癌(がん)で死去

[石川 輝]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「渡辺勇次郎」の解説

渡辺勇次郎 わたなべ-ゆうじろう

1887-1956 明治-昭和時代のボクシング指導者。
明治20年11月11日生まれ。39年渡米。サンフランシスコでプロボクサーとして活躍。大正10年帰国し,日本最初のジム「日本拳闘(けんとう)倶楽部(クラブ)」を創立。荻野貞行(おぎの-さだゆき),ピストン堀口らをそだて,日本ボクシング界の父といわれる。全国学生拳闘連盟初代会長,昭和3年アムステルダム五輪ボクシング監督。昭和31年6月28日死去。68歳。栃木県出身。

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世界大百科事典(旧版)内の渡辺勇次郎の言及

【ボクシング】より

…危機感を強めるボクシング界もレフェリーのストップの早期化,グローブの大型化,規定のラウンド数の短縮化など競技内容の改善,あるいは予防の強化,事故の際の迅速な処置に努めているが,万全な安全策としては決め手を欠いたままである。
[日本のボクシング]
 日本で本格的なボクシングが始まったのは,1922年にアメリカで技術を修得した渡辺勇次郎(1889‐1956)が東京下目黒に日本拳闘俱楽部(日俱)を開設してからとされ,しだいに系統的に発展した。当初はアマチュアとプロフェッショナルは未分化のままだったが,29年の明治神宮体育大会には一般二部に分類されたプロ選手の参加が認められている。…

※「渡辺勇次郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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