湖南(市)(読み)こなん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「湖南(市)」の意味・わかりやすい解説

湖南(市)
こなん

滋賀県の南部にある市。2004年(平成16)甲賀(こうか)郡石部町(いしべちょう)と甲西町(こうせいちょう)が合併、市制施行して成立。なお、同時期に成立した甲賀市と湖南市の誕生により、甲賀郡は消滅した。中央部を北西流する野洲川(やすがわ)に沿って沖積平野が形成され、北部は岩根(いわね)山などの丘陵地、南部も阿星(あぼし)山(693メートル)や大納言(だいなごん)(596メートル)などに続く丘陵地。野洲川南岸をJR草津線と国道1号が走り、北東端を477号が通る。また名神高速道路の竜王(りゅうおう)、栗東(りっとう)の両インターチェンジが近い。

 野洲川両岸には後期古墳が多数分布し、南東部の三雲(みくも)には100基を超える群集墳の園養山古墳群(おんようざんこふんぐん)がある。古代には三雲に川津が設けられ、南都東大寺などの造営用材が筏に組まれて流された。北部の丘陵地には善水寺(ぜんすいじ)など古代の草創伝承を持つ寺院が多く、南都系寺院との関係が伺われる。阿星山は山岳信仰の対象であったとされ、山麓常楽寺本堂と三重塔は国宝)や長寿寺(本堂と厨子は国宝)は善水寺(本堂は国宝)とともに文化財の宝庫である。中世は檜物(ひもの)荘、三雲郷岩根郷などが成立、後期には国人層が成長し、三雲城石部城などに拠った。近世になって野洲川南岸を通る東海道が整備されると、石部は宿に指定されて発展した。江戸時代は幕府領、近江膳所(ぜぜ)藩領、山城淀藩領などとして推移。北西部の丘陵地では石灰を産出し近代まで生産が続いた。

 農業は米を中心に下田ナス、弥平(やへい)トウガラシなどの野菜栽培も行われている。北東部の湖南工業団地を中心に企業が進出し、住宅地の開発により人口も増加している。石部宿場の里(東海道石部宿歴史民俗資料館)では往時の町並みを再現している。平松のウツクシマツ自生地は国指定天然記念物。面積は70.40平方キロメートル、人口5万4460(2020)。

[編集部]


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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