湛江(読み)たんこう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「湛江」の意味・わかりやすい解説

湛江
たんこう / チャンチヤン

中国広東(カントン)省南西部、雷州(らいしゅう)半島東岸の湛江湾(旧、広州湾)に臨む港湾都市。地級市であり、4市轄区、2県を管轄し、3県級市の管轄代行を行う(2016年時点)。人口785万1700(2012)。1898年フランス占領、翌1899年に租借地とし、広州湾とよび開港場とした。1943年日本に占領されたが、日本の敗戦後返還され湛江市が置かれた。返還後、オイルシェール産地の茂名(もめい)、広西(こうせい)チワン族自治区の黎塘(れいとう)と黎湛線で結ばれ、省西部最大の港湾都市となった。

 湛江湾に面する港は湾口に南三(なんさん)島、東海島などの島々が天然の防波堤をなし、3万トン級の船舶が接岸できる。おもな輸出品には水産物、家具、アパレル、雑貨がある。市内には製鉄製紙、石油化学などの工業が立地。郊外には、フランスが同地を占領した際、抗仏闘争の拠点となった上林寺、火口湖の湖光岩などの名勝旧跡がある。1984年沿海対外開放14都市の一つとなり、外資との合弁により経済技術開発区が設けられた。

[青木千枝子・河野通博・編集部 2017年1月19日]

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改訂新版 世界大百科事典 「湛江」の意味・わかりやすい解説

湛江 (たんこう)
Zhàn jiāng

中国,広東省南西部,雷州半島の東岸にあり,南海に臨む港湾都市。人口135万(2000)。3市2県を管轄する。もとは貧寒な漁村にすぎなかったが,1898年(光緒24)フランスが侵略,占拠して清仏条約により99年間租借した。フランスは広州湾と呼び自由貿易港として開港したが,予期した発展はみられなかった。1943年日本が占領したが,日中戦争の終結後中国に返還され,46年に湛江市が置かれた。湘桂鉄道(衡陽~友誼関)から分岐する黎湛鉄道が通じ,55年から建設された新港は万トン級の外航船の停泊可能な大型埠頭をもつ近代的港湾で,中国有数の対外貿易港である。港の入口には硇州(のうしゆう),南三,東海などの島が天然の防波堤となって,自然的条件に恵まれる。化学,造船,製糖,機械,食品などさまざまな工業が発達している。
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百科事典マイペディア 「湛江」の意味・わかりやすい解説

湛江【たんこう】

中国,広東省雷州半島東岸,広州湾に臨む港湾都市。1899年以後,フランスの広州湾租借に伴い租借地となった。従来,後背地との交通が不便なため振るわなかったが,解放後広西チワン族自治区の黎塘へ鉄道が通じ,東南アジアに近いため華南有数の貿易港となった。156万人(2014)。
→関連項目中華人民共和国雷州半島

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世界大百科事典(旧版)内の湛江の言及

【広州湾】より

…中国広東省西部,雷州半島の付け根の東海岸にある湾。現在湛江港と呼ばれる。1898年(光緒24)にフランスによって侵略,占拠され,翌年その租借地となった。…

※「湛江」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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