源仲兼(読み)みなもとのなかかね

朝日日本歴史人物事典 「源仲兼」の解説

源仲兼

生年生没年不詳
平安末期・鎌倉初期の後白河院の有力近習仲国の弟。父は河内守光遠。仲兼も近江をはじめとする諸国の守を務めて財を蓄え,造営事業などを請け負った。建永1(1206)年に火災にあった比叡山の大講堂の再建を担当。また,建保1(1213)年ごろには,鎌倉で源実朝に仕えている。なお,子孫は代々院細工所を統轄したと思われる。

(本郷恵子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「源仲兼」の解説

源仲兼 みなもとの-なかかね

?-? 平安後期-鎌倉時代官吏
源仲国,源仲章の弟。宇多源氏。宣陽門院の蔵人(くろうど)。近江(おうみ)などの国守,皇后宮少進をつとめた。後白河院の近習で,法住寺の院御所が源義仲に焼き討ちされた際は弟仲信とともに奮戦した。建保(けんぽ)元年(1213)源実朝につかえた。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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