源光(読み)みなもとのひかる

朝日日本歴史人物事典 「源光」の解説

源光

没年延喜13.3.12(913.4.21)
生年承和12(845)
平安前期の公卿。正二位。西三条右大臣と称される。仁明天皇皇子で母は未詳。源朝臣の氏姓を賜り臣籍に下った賜姓一世源氏。元慶8(884)年参議となり,延喜1(901)年右大臣に進んだ。この任官は右大臣菅原道真の代わりであり,光は道真左遷の首謀者左大臣藤原時平に手をかしたという。検非違使別当,皇太子傅,左大将などを兼務狩猟の間に泥中にはまって死亡し,遺骸は見つからなかったという(『日本紀略』)。正一位を追贈された。『今昔物語集』などによると,五条の天神社の柿の木に現れては花を降らす金色の仏があり,京中の人が拝みに群集したが,聡明な光はこの正体が天狗であることを突き止めたという。

(朧谷寿)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「源光」の解説

源光 みなもとの-ひかる

845-913 平安時代前期-中期の公卿(くぎょう)。
承和(じょうわ)12年生まれ。仁明(にんみょう)天皇の皇子。臣籍にはいり,源姓となる。元慶(がんぎょう)8年(884)参議。左大臣藤原時平に協力し,昌泰(しょうたい)4年菅原道真の失脚で右大臣,延喜(えんぎ)9年時平の没後首班地位についた。正二位。延喜13年3月12日狩猟中に事故死。69歳。贈正一位。西三条右大臣とよばれた。

源光 げんこう

?-? 平安時代後期の僧。
天台宗比叡山(ひえいざん)西塔の北谷に住し,学識をもって知られた。法然の最初の師であり,その資質をみぬいて功徳院の皇円のもとにおくった。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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