源希義(読み)みなもとのまれよし

朝日日本歴史人物事典 「源希義」の解説

源希義

没年治承4(1180)
生年:生年不詳
平安後期の武士源義朝の子で,頼朝の同母弟。平治1(1159)年の平治の乱で捕らえられ,土佐国に配流された。介良荘(高知市)に住す。治承4(1180)年,兄頼朝の挙兵(8月)により平家追討を受け,近隣の夜須氏を頼って逃走しようとしたが,その途中,年越山で討死した。11月末に首が京都に送られている。兄の成功と希義の悲運との比較は興味深い。なお『吾妻鏡』の記事には,その死を寿永1(1182)年とする錯誤がある。<参考文献>河内祥輔『頼朝の時代

(河内祥輔)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「源希義」の解説

源希義 みなもとの-まれよし

?-1180 平安時代後期の武将
源義朝(よしとも)の子。母は熱田大宮司季範(すえのり)の娘。平治(へいじ)の乱の戦後処理で,土佐(高知県)長岡郡介良荘(けらのしょう)へ流される。治承(じしょう)4年兄頼朝の挙兵により,平氏から討っ手をむけられ,持仏堂にはいって自害した。通称は土佐冠者,鎌田冠者。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の源希義の言及

【土佐国】より

…これは四国山脈を横断して南下するもので,現在の長岡郡本山町を経由し,のちに〈北山越え〉と呼ばれる官道であった。土佐国は724年(神亀1)の制によって遠流の国とされて以来,奈良時代では石上乙麻呂,大伴古慈斐,池田親王(淳仁天皇の弟),弓削浄人・広方・広田(道鏡の一族),平安時代に入ると紀夏井(応天門の変),藤原師長(保元の乱),源希義(まれよし)(平治の乱)等々,多くの著名人の配流先となった。また,国司としては紀貫之の来任が著名である。…

※「源希義」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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