源為憲(読み)ミナモトノタメノリ

デジタル大辞泉 「源為憲」の意味・読み・例文・類語

みなもと‐の‐ためのり【源為憲】

[?~1011]平安中期の学者文人源順みなもとのしたごう師事漢詩をよくした。著「三宝絵詞」「口遊くちずさみ」「世俗諺文」。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「源為憲」の意味・読み・例文・類語

みなもと‐の‐ためのり【源為憲】

平安中期の歌人漢学者源順に師事。その詩歌の作品は「本朝麗藻」「拾遺集」などに収められ、文才大江匡衡などと並称された。「三宝絵詞」「口遊」「世俗諺文」などの著がある。寛弘八年(一〇一一)没。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

百科事典マイペディア 「源為憲」の意味・わかりやすい解説

源為憲【みなもとのためのり】

平安中期の漢詩人。従五位下。源順の門下で,文章生(もんじょうのしょう)出身で内記,蔵人(くろうど),式部丞を務め,美濃,遠江,美作,伊賀の国司を歴任した。詩文撰集《本朝詞林》は散逸したが,《本朝文粋》《和漢朗詠集》に作品がみえる。慶滋保胤らの参加した比叡山の〈勧学会〉に加わったことが知られ,《空也誄》《法華経賦》を残すなど仏教への造詣が深かった。教育者としても勝れ,幼学書《口遊》《世俗諺文》,説話集の《三宝絵詞》が現存する。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「源為憲」の意味・わかりやすい解説

源為憲
みなもとのためのり
(?―1011)

平安時代の文人。光孝(こうこう)源氏、筑前守(ちくぜんのかみ)忠幹の子。文章生(もんじょうしょう)から出て国守を歴任し、従(じゅ)五位下(げ)で終わった。源順(したごう)に師事し、『本朝麗藻(れいそう)』『拾遺(しゅうい)集』などに作品を残すとともに、貴顕の求めに応じて、啓蒙(けいもう)書、入門書を著した。藤原誠信のための『口遊(くちずさみ)』一巻、藤原頼通(よりみち)のための『世俗諺文(せぞくげんぶん(もん))』三巻(現存上巻のみ)、あるいは、尊子内親王に献じた仏教入門書『三宝絵詞(さんぼうえことば)』三巻などである。また『空也誄(くうやるい)』『円融院(えんゆういん)御受戒記』、そしていまは伝わらないが『本朝詞林』などの編著があった。

[柳井 滋]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「源為憲」の意味・わかりやすい解説

源為憲 (みなもとのためのり)
生没年:?-1011(寛弘8)

平安中期の光孝天皇の皇子是恒親王の曾孫,筑前守源忠幹の子。源順を師として,文章生から蔵人,遠江,美濃,加賀,伊賀の国守を歴任した。《本朝文粋》《和漢朗詠集》などに詩文を残すが,冷泉天皇の皇女尊子内親王のために《三宝絵詞》(984),後の太政大臣藤原為光の長子誠信のために《口遊(くちずさみ)》(970),藤原道長の子頼通のために《世俗諺文(げんもん)》(1007)を書いた,教科書作者でもある。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「源為憲」の解説

源為憲

没年:寛弘8.8(1011)
生年:生年不詳
平安中期の官人,文人。字は澄。筑前守忠幹の子。文章生出身で蔵人を経験したのち 遠江守,美濃守(これを希望して提出した申文が『本朝文粋』に載る)などの地方官を歴任し,伊賀守在任中に死去。早くから源順に師事し漢詩文に抜きんでた。一条天皇時代の「文士」の才人にあげられ,文人としての逸話が『江談抄』などに多くみえる。天禄1(970)年,藤原為光の子誠信のために『口遊』(貴族の教養として必須の教材を暗唱しやすいように編集分類したもの),永観2(984)年に18歳で出家した冷泉天皇皇女の尊子内親王のために『三宝絵詞』(草仮名と絵から成る仏教の入門書。後世の説話集に大きな影響を与えた)を,さらに寛弘4(1007)年には藤原頼通のために『世俗諺文』(成句,諺を編集しその出典を明記したもの)など,権門子女のための教養書を著し,ほかに『空也誄』を書くなど仏教に関心を示した。

(朧谷寿)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「源為憲」の意味・わかりやすい解説

源為憲
みなもとのためのり

[生]?
[没]寛弘8(1011)
平安時代中期の文学者。忠幹 (ただもと) の子。蔵人,式部丞を経て,遠江,美濃,伊賀の国守を歴任。学問を源順 (したごう) に学び,天禄1 (970) 年藤原為光の子誠信のために辞書『口遊 (くちずさみ) 』 (1巻) ,永観2 (984) 年冷泉天皇の第2皇女尊子のために仏教説話集『三宝絵詞 (えことば) 』,寛弘4 (1007) 年藤原頼通のために『世俗諺文 (げんぶん) 』 (3巻) を書いた。ほかに『空也上人誄 (しのびごと) 』が知られ,『本朝文粋』『後拾遺和歌集』などに作品がある。信心厚く,和歌,漢詩をよくした。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「源為憲」の解説

源為憲 みなもとの-ためのり

?-1011 平安時代中期の官吏,漢詩人。
光孝源氏。遠江(とおとうみ),伊賀などの国守を歴任した。文章生(もんじょうしょう)の出身で,源順(したごう)に師事。権門子女のために「口遊(くちずさみ)」「三宝絵詞」「世俗諺文(げんぶん)」などの教養書をあらわした。評伝に「空也上人誄(くうやしょうにんるい)」。詩文は「本朝麗藻」などにみえる。寛弘(かんこう)8年8月死去。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の源為憲の言及

【三宝絵詞】より

…本来は《三宝絵》という絵巻で,絵が逸亡して詞書だけが残り,かりに説話集なみに扱われている。源為憲が冷泉天皇の皇女尊子内親王の教育用に作った。序によって984年(永観2)冬,円融天皇の女御であった内親王が出家,仏教の概要を知る手引きとして献じたことがわかる。…

※「源為憲」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android