源重光(読み)みなもとのしげみつ

朝日日本歴史人物事典 「源重光」の解説

源重光

没年:長徳4.7.10(998.8.4)
生年:延長1(923)
平安中期の公卿。正三位。醍醐天皇皇子の代明親王と右大臣藤原定方の娘の子。賜姓源氏。康保1(964)年参議となり,検非違使別当などを兼務し,正暦2(991)年69歳で権大納言に進んだ。翌年この地位を女婿の権中納言藤原伊周に譲った。「致仕大納言」の呼称はこれによる。病死した翌年,弟保光の建立した松前寺(円明寺)において周忌法要が営まれた。音楽に通じ「重光楽」という曲を作っている。和歌をもよくし勅撰集に数首採られている。平安京の一条大宮の東北に邸宅があった。

(朧谷寿)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「源重光」の解説

源重光 みなもとの-しげみつ

923-998 平安時代中期の公卿(くぎょう)。
延長元年生まれ。代明(よりあきら)親王王子。母は藤原定方の娘。臣籍にはいり,源姓となる。醍醐(だいご)源氏。正三位にすすみ,正暦2年(991)権(ごんの)大納言。翌年娘婿の藤原伊周(これちか)に職をゆずり,致仕大納言とよばれる。歌は「後撰和歌集」などにあり,楽曲にもすぐれていた。長徳4年7月10日死去。76歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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