滋野井実在(読み)しげのい・さねあり

朝日日本歴史人物事典 「滋野井実在」の解説

滋野井実在

没年:明治11.8.11(1878)
生年:文政9.7.27(1826.8.30)
幕末明治期の公家,政治家。父は阿野実典,滋野井為国の養子。安政5(1858)年老中堀田正睦が日米修好通商条約奏請のため上京した際,条約調印に反対する88卿列参奏上に参加。文久2(1862)年8月,和宮降嫁を推進した久我建通,岩倉具視らを弾劾,その排斥を図る。翌年2月国事寄人となり,7月攘夷親征の布告を連署して建議。8月18日の政変宮中から攘夷派が一掃されるに伴い廃職,差控となる。慶応3(1867)年1月,孝明天皇死去による大赦で処分解除。同年4月英国公使の伏見通過を弾劾して親幕派廷臣の罷免を求めたが,幕府の反発を受けて差控に処せられる。王政復古の政変前日赦免され,維新後は権弁事,内弁事などを歴任した。

(保延有美)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「滋野井実在」の解説

滋野井実在 しげのい-さねあり

1826-1878 幕末-明治時代の公家,華族
文政9年7月27日生まれ。阿野実典の3男。滋野井為国の養子。安政4年左近衛権(さこんえのごんの)中将。翌年,日米修好通商条約に反対する八十八卿列参にくわわる。文久3年国事寄人(よりゅうど)になるが,同年の八月十八日の政変で失脚。のち新政府の権弁事,内弁事などをつとめた。明治11年8月11日死去。53歳。

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