瀬戸口藤吉(読み)せとぐちとうきち

精選版 日本国語大辞典 「瀬戸口藤吉」の意味・読み・例文・類語

せとぐち‐とうきち【瀬戸口藤吉】

指揮者作曲家。薩摩鹿児島県出身。明治一五年(一八八二海軍軍楽隊にはいり、おもに吹奏楽の指揮者、作曲家として活躍代表作軍艦行進曲」「愛国行進曲」など。明治元~昭和一六年(一八六八‐一九四一

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デジタル大辞泉 「瀬戸口藤吉」の意味・読み・例文・類語

せとぐち‐とうきち【瀬戸口藤吉】

[1868~1941]指揮者・作曲家。鹿児島の生まれ。エッケルトらに学び、生涯、海軍軍楽隊発展のために尽くした。作品に「軍艦行進曲」「愛国行進曲」など。

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改訂新版 世界大百科事典 「瀬戸口藤吉」の意味・わかりやすい解説

瀬戸口藤吉 (せとぐちとうきち)
生没年:1868-1941(明治1-昭和16)

海軍軍楽隊の指揮者で作曲家。鹿児島県生れ。1882年海軍軍楽隊生徒として入隊。97年に鳥山啓作詞に作曲した《軍艦》を1900年改作して《軍艦行進曲》とし,この曲は日本の代表的行進曲となった。1908-17年日比谷公園野外音楽堂で軍楽隊の定例演奏を行い,11年イギリス国王戴冠式に際して軍楽隊を率いてヨーロッパ各地で演奏した。晩年《愛国行進曲》(1937)を作曲。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「瀬戸口藤吉」の意味・わかりやすい解説

瀬戸口藤吉
せとぐちとうきち
(1868―1941)

指揮者、作曲家。鹿児島県に生まれる。1882年(明治15)海軍軍楽隊に入隊し、エッケルトFranz Eckert(1852―1916)やレーアAnna Loehr(1848―?)に学び、さらに東京音楽学校(東京芸術大学の前身)で、海軍からの派遣生として、ユンケルAugust Junker(1868―1944)やクローンGustav Kron(1874―?)に作曲を師事した。1908年(明治41)から日比谷(ひびや)公園奏楽堂で軍楽隊を指揮し、1911年のイギリス国王戴冠(たいかん)式に軍楽隊を率いて列席した。1897年に作曲した唱歌に基づく『軍艦行進曲』(1900)や、『敷島艦行進曲』(1902ころ)、『愛国行進曲』(1937)などの作曲者として有名である。

船山 隆 2018年9月19日]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「瀬戸口藤吉」の解説

瀬戸口藤吉 せとぐち-とうきち

1868-1941 明治-昭和時代前期の指揮者,作曲家。
慶応4年5月10日生まれ。明治15年海軍軍楽隊に入隊,エッケルトらにまなぶ。33年「軍艦行進曲」を発表。36年海軍軍楽隊楽長となる。44年イギリス国王戴冠(たいかん)式に軍楽隊をひきいて訪英。昭和16年11月8日死去。74歳。薩摩(さつま)(鹿児島県)出身。作品はほかに「愛国行進曲」など。

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世界大百科事典(旧版)内の瀬戸口藤吉の言及

【軍楽隊】より

…1905年に開始された陸・海軍の日比谷公園演奏会の役割は大きい。陸軍軍楽隊長,永井建子(けんし)(1865‐1940)は《道は六百八十里》などの作曲家としても有名で,海軍では瀬戸口藤吉(1868‐1941)が《軍艦行進曲》など多くの行進曲を残して有名である。1945年終戦とともに両軍楽隊は解散し,現在は陸・海上自衛隊の音楽隊および警視庁音楽隊,東京消防庁音楽隊がある。…

※「瀬戸口藤吉」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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