瀬木博尚(読み)せきひろなお

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「瀬木博尚」の意味・わかりやすい解説

瀬木博尚
せきひろなお

[生]嘉永5 (1852).10.6. 富山
[没]1939.1.22. 東京
広告代理店,博報堂の創始者。富山で役人をしたのち,1894年上京して星亨の『めざまし新聞』に入社した。翌 1895年10月神田に雑誌広告の取り次ぎを行なう博報堂を創業。教育雑誌を重視し,その育成普及に尽力した。大手出版社である博文館の広告を一手に引き受けたことが会社の発展の基礎となった。出版業にも乗り出し,1897年スポーツ雑誌『運動界』を創刊。1926年の宮武外骨らのコレクションを元にした東京帝国大学法学部の明治新聞雑誌文庫創設に際しては,財政的援助を惜しまず,近代の日本新聞史研究,日本史研究に大きく貢献した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「瀬木博尚」の解説

瀬木博尚 せき-ひろなお

1852-1939 明治-昭和時代前期の実業家
嘉永(かえい)5年10月6日生まれ。明治28年東京日本橋に広告取次業の博報堂を創立。雑誌・新聞の出版広告を主とし,社業を発展させた。43年内外通信社とあらためる(昭和30年博報堂と改称)。大正15年東京帝大に「明治新聞雑誌文庫」設立基金を寄付した。昭和14年1月22日死去。88歳。越中(富山県)出身

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世界大百科事典(旧版)内の瀬木博尚の言及

【博報堂[株]】より

…日本の有力な広告会社。1895年10月瀬木博尚(1852‐1939)が創業。第2次大戦中までは雑誌の掲載広告や新聞の雑誌書籍広告など,おもにいわゆる出版広告を取り扱う広告代理店であった。…

【明治新聞雑誌文庫】より

…明治時代に発行された全国各地の新聞・雑誌を専門に収蔵している(大正以後のものは明治の創刊で続刊されているものに限られた)。内外通信社博報堂の創業者瀬木博尚の寄付により1926年設立決定,翌年2月から事務を開始した。初代主任宮武外骨の努力で多くの貴重な新聞・雑誌が収集された。…

※「瀬木博尚」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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