瀬藤象二(読み)せとうしょうじ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「瀬藤象二」の意味・わかりやすい解説

瀬藤象二
せとうしょうじ
(1891―1977)

電気工学者。和歌山県に生まれる。1915年(大正4)東京帝国大学電気工学科を首席で卒業、鳳秀太郎(ほうひでたろう)(1872―1931)教授の勧めで母校の講師となり1918年助教授となる。1923年3月より満2年間ドイツのベルリン大学留学。1925年東京帝国大学教授。1926年より理化学研究所主任研究員として、先輩の鯨井恒太郎、研究室の植木栄、宮田聡(みやたあきら)(1900―1984)らとともにアルミニウムの陽極酸化法の研究を進めるなかで、アルマイト発明を行う。1939年(昭和14)日本学術振興会に、電子顕微鏡に関する特別委員会を組織し、その開発と普及に大きく貢献した。東京帝国大学第二工学部長を経て1949年(昭和24)東京大学生産技術研究所所長となり退職。電子顕微鏡学会会長、東京芝浦電気株式会社(現、東芝専務となる。1958年には日本原子力事業株式会社(1989年東芝に吸収合併)社長に就任し、1973年文化勲章受章

[田中國昭]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「瀬藤象二」の意味・わかりやすい解説

瀬藤象二
せとうしょうじ

[生]1891.3.18. 和歌山
[没]1977.10.20. 東京
電気工学者。東京大学電気工学科卒業 (1915) 。東京大学教授 (25~51) 。 1925年より理化学研究所において鯨井研究室を継承して瀬藤研究室を主宰し,30年アルミニウムに耐食性皮膜をつけた「アルマイト」の工業化成功。 39年日本学術振興会に設置された電子顕微鏡の研究小委員会において,産官学界の研究開発力を結集して,日本の電子顕微鏡の技術水準の飛躍的向上に貢献した。 73年文化勲章を受章。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「瀬藤象二」の解説

瀬藤象二 せとう-しょうじ

1891-1977 大正-昭和時代の電気工学者。
明治24年3月18日生まれ。大正14年母校東京帝大の教授,翌年理化学研究所主任研究員を兼任。東京帝大初代第二工学部長,東大生産技術研究所初代所長をつとめ,のち日本原子力事業社長。アルマイトの工業化に成功し,電子顕微鏡の開発につくした。昭和48年文化勲章。昭和52年10月20日死去。86歳。和歌山県出身。

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