為平親王(読み)ためひらしんのう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「為平親王」の意味・わかりやすい解説

為平親王
ためひらしんのう

[生]天暦6(952)
[没]寛弘7(1010).11.7.
一品式部卿。村上天皇第4皇子。母は藤原師輔女安子。冷泉天皇円融天皇兄弟。当時冷泉天皇に皇子なく,16歳の為平親王が冷泉の東宮と目されていた。しかし源高明の女を妃としたため,藤原氏から警戒され,弟守平親王 (円融天皇) が東宮となった。またその2年後の安和2 (969) 年,左大臣高明を失脚させるため仕組まれた藤原氏の策謀 (→安和の変 ) にも巻込まれた。

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朝日日本歴史人物事典 「為平親王」の解説

為平親王

没年:寛弘7.11.7(1010.12.15)
生年:天暦6(952)
平安中期の皇族。村上天皇の第4皇子で母は皇后安子(右大臣藤原師輔の娘)。康保2(965)年三品,のち一品式部卿に進む。実兄冷泉天皇即位に際し,東宮になって当然の位置にいたが,4年実弟の守平親王(のちの円融天皇)にその立場を奪われた。左大臣源高明の娘が妻だった(結婚は康保3年)から,為平が東宮さらに天皇になれば源氏の思いどおりの世になってしまうことを藤原伊尹,兼通らが恐れ,それを拒んだのである(『大鏡』)。そしてこれが安和の変(969)の原因ともなった。

(朧谷寿)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「為平親王」の解説

為平親王 ためひらしんのう

952-1010 平安時代中期,村上天皇の第4皇子。
天暦(てんりゃく)6年生まれ。母は藤原安子(あんし)。康保(こうほう)3年源高明(たかあきら)の娘と結婚。そのため高明の勢力増大をおそれた藤原伊尹(これただ)らの策謀により,東宮の地位を弟守平(もりひら)親王(円融天皇)にうばわれる。染殿式部卿,吏部王とよばれた。寛弘(かんこう)7年出家し,同年11月7日死去。59歳。

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旺文社日本史事典 三訂版 「為平親王」の解説

為平親王
ためひらしんのう

952〜1010
平安中期の皇族
村上天皇第4皇子。母は藤原安子。妃は左大臣源高明 (みなもとのたかあきら) の娘。969年安和の変に関係。高明は,為平親王の擁立を企てているという讒言 (ざんげん) により大宰府に左遷され,以後摂関が常置された。

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世界大百科事典(旧版)内の為平親王の言及

【安和の変】より

…この事件の真相については諸説あるが,結局は藤原氏の陰謀と考えられる。967年村上天皇が没すると皇后藤原安子(師輔女)の生んだ憲平親王(冷泉天皇)が即位,弟守平親王(円融天皇)が同母兄為平親王を越えて皇太弟となる。これは源高明の女が為平の妃であるのを藤原氏に忌避されたためで,おそらく高明や彼の側近の不満が言動にあらわれ,それが謀反事件に作りあげられたものと想像される。…

※「為平親王」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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