無住(読み)ムジュウ

デジタル大辞泉 「無住」の意味・読み・例文・類語

む‐じゅう〔‐ヂユウ〕【無住】

人が住んでいないこと。また特に、寺に住職がいないこと。また、その寺。「無住の庵」「無住の寺」
仏語。心の中の一切の束縛を断ち切った、とらわれのない状態

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「無住」の意味・読み・例文・類語

む‐じゅう ‥ヂュウ【無住】

〘名〙
① 仏語。
(イ) 基づくものがない状態。よりどころがない状態。〔維摩経‐中〕
(ロ) 何物にもとらわれないこと。執着を捨てた自由の境界にあること。
性霊集‐一〇(1079)故贈僧正勤操大徳影讚「乗无住之騎、唱此不二
寺院に住職のいないこと。
俳諧・誹諧曾我(1699)兄「無住とは門から見ゆる木の葉哉〈松葉〉」
③ だれも住んでいないこと。
半七捕物帳(1925)〈岡本綺堂一つ目小僧夜目に門がまへを見ただけでは、それが無住(ムヂウ)の家であるか何うかを覚られさうにもなかった」

むじゅう ムヂュウ【無住】

鎌倉後期臨済宗の僧。字(あざな)は道暁。号は一円勅諡大円国師遊歴して顕密を合わせ学び、のち円爾について禅門にはいった。「沙石集」一〇巻、「雑談集」一〇巻の著者。嘉祿二~正和元年(一二二六‐一三一二

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「無住」の意味・わかりやすい解説

無住 (むじゅう)
生没年:1226-1312(嘉禄2-正和1)

鎌倉中期の僧で説話集編者。梶原氏の出というが,俗名は未詳。無住は字で,諱(いみな)は道暁,一円房と号した。鎌倉で生まれ,辛酸の幼少期を経て,18歳のとき常陸で出家。東国で修学後,大和の正暦寺,西大寺で法相・律を学び,帰東して鎌倉の寿福寺に参禅,さらに京都東福寺の開山円爾弁円に師事して東密を伝習するなど,広く新旧諸宗を兼学して,一宗一派に偏しない思想と学識の持主となった。1262年(弘長2)尾張の長母(ちようぼ)寺(名古屋市東区)に止住し,住職となって半世紀を送り,兼持した伊勢桑名の蓮華寺で没した。長母寺定住後は,寺院経営のかたわら,尾張・伊勢地方の教化と啓蒙的著述に専念したようで,59歳のときに成った《沙石集》10巻を第1作として,《聖財(しようざい)集》3巻,《妻鏡》1巻,《雑談(ぞうたん)集》10巻を編した。なかでも《沙石集》は説教体仏教説話集の典型として,世間話や笑話を駆使した巧みな講述は近世話芸の範とされ,その仏教的評論・随想に対する評価も近来とみに高まっている。和歌にも長じ,その詠歌は《沙石集》《雑談集》に多数引かれている。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「無住」の意味・わかりやすい解説

無住
むじゅう
(1226―1312)

鎌倉後期の僧。道暁、一円、大円国師ともいう。鎌倉幕府の幕臣梶原(かじわら)氏の裔(すえ)に生まれたといわれるが、肉親の縁に薄く、鎌倉をはじめ下野(しもつけ)(栃木県)、常陸(ひたち)(茨城県)などを転々としたのち出家し、28歳で遁世(とんせい)。以後、奈良、京都、鎌倉の諸寺で広く顕密諸宗を学ぶ。37歳の1262年(弘長2)以後、尾張(おわり)国木賀崎(きがさき)(名古屋市)の長母寺(ちょうぼじ)の住職となった。自ら「昔より物語を愛し好み侍(はべ)りしゆゑに、修行の暇(いとま)をかきて、徒(いたづ)ら事を書き置」いたと述べているように、生来の話し好きで、晩年、硬軟取り混ぜた仏教説話を編纂(へんさん)し、『沙石(しゃせき)集』(1283)、『雑談(ぞうたん)集』(1305)などを著した。地方の武士や庶民の世界が平明な文体で描き出されている。

[小島孝之]

『安藤直太朗著『説話と俳諧の研究』(1979・笠間書院)』


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「無住」の意味・わかりやすい解説

無住【むじゅう】

鎌倉中期の僧。俗姓梶原氏。号を一円,諱(いみな)は道暁(どうぎょう)。鎌倉に生まれ,19歳で出家。諸宗兼学し,35歳で臨済宗の聖一(しょういち)国師(円爾(えんに))に学び,38歳のとき尾張長母(ちょうぼ)寺を開創。大衆の教化指導を旨とし,《沙石(しゃせき)集》《雑談(ぞうたん)集》《妻鏡》等の法談説話集を著した。
→関連項目ささやき竹雑談雑談集法語和歌陀羅尼

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

山川 日本史小辞典 改訂新版 「無住」の解説

無住
むじゅう

1226.12.28~1312.10.10

鎌倉中・後期の僧侶。梶原氏,俗名不明。諱は道暁(どうぎょう)。号は一円房。諡号大円国師で,1546年(天文15)に勅諡(ちょくし)。鎌倉生れ。18歳で常陸国法音寺で出家。以後関東・大和諸寺で諸宗を兼修。1262年(弘長2)尾張国長母(ちょうぼ)寺(現,名古屋市東区)に住み,80歳で寺内桃尾軒に隠居した。和歌即陀羅尼論の提唱者,話芸の祖。事績は著作中の述懐記事や「無住国師行状」などの伝記,高僧伝が伝える。編著書「沙石集(しゃせきしゅう)」「聖財集(しょうざいしゅう)」「妻鏡」「雑談集(ぞうたんしゅう)」。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

367日誕生日大事典 「無住」の解説

無住 (むじゅう)

生年月日:1226年12月28日
鎌倉時代後期の臨済宗聖一派の僧
1312年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の無住の言及

【沙石集】より

…説話集。無住編。10巻。…

【雑談集】より

…仏教説話集。無住道暁(むじゆうどうぎよう)編。10巻。…

【妻鏡】より

…鎌倉時代の仏教書。無住著。1巻。…

※「無住」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android