焼津市(読み)ヤイヅシ

デジタル大辞泉 「焼津市」の意味・読み・例文・類語

やいづ‐し【焼津市】

焼津

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本歴史地名大系 「焼津市」の解説

焼津市
やいづし

面積:四五・八七平方キロ

県のほぼ中央部に位置し、北は高草たかくさ(五〇一・四メートル)花沢はなざわ(四四九・五メートル)を境に志太しだ岡部おかべ町と静岡市、西は藤枝市、南は志太郡大井川町に接し、東は駿河湾に臨む。市域は北の山稜部、それより南に広がる河川により形成された沖積層の水田地帯、東の海岸部の三つに大別される。平坦地が総面積の約九割を占め、朝比奈あさひな川・瀬戸せと川・黒石くろいし川・木屋きや川・栃山とちやま川などが西から東へ流れ駿河湾に注ぐ。高草山系の地質は主として玄武岩で、二千万年前海底から噴出した枕状溶岩が大崩おおくずれ海岸で見られる。元禄一二年(一六九九)頃から海岸の浸食が進み、現在までに海岸線が約六〇〇メートルも後退したといわれる。温暖な太平洋岸気候に属し、年間の平均気温は摂氏一六・五度、冬でも氷点下になることは少なく降雪はまれである。市域を北東から南西へJR東海道本線が通り、二駅が設置されている。同線にほぼ並行して東海道新幹線が通り、その北を通る東名高速道路には焼津インターチェンジが設けられている。市名は古代以来の郷村名による。人口は一一万八千人余(平成一二年)遠洋漁業と水産加工の代表的な都市である。

〔原始〕

縄文時代の遺跡としては高草山の花沢川の谷に面した東斜面(標高一四五メートル)から黒曜石製石鏃が採集された別所べつしよだん遺跡があり、また現在の焼津港内にあたる元海岸砂堤上の弁天べんてん遺跡からは石剣が採集されている。弥生時代の遺跡は六ヵ所確認されている。高草山南麓緩斜面から平野部にかけてに風尾かざお遺跡(石脇上)があり、大井川古流の左岸自然堤防上にあたる小川こがわ微高地上に金鋼作きんこうさく遺跡(三ヶ名)小深田こふかだ遺跡・道場田どうじようだ遺跡(小川)、また瀬戸川右岸河口部の中港なかみなと微高地上には中港遺跡・中港北遺跡が立地する。道場田遺跡では弥生時代後期後半の方形周溝墓群が、北に隣接する小深田西遺跡では同時期の竪穴住居跡群が検出されている。そして小深田西遺跡の集落の廃絶後に重ねて古墳時代前期の方墳群が造営され、集落は約二〇〇メートル東に移動して小深田遺跡で総数一〇〇軒以上の住居跡群が検出された。しかし小深田の集落も古墳時代前期に廃絶し粘土層で覆われる。再びこの微高地上に生活の痕跡がみられるのは五世紀後半からで、道場田遺跡・小川城こがわじよう遺跡で水田遺構・祭祀遺構が発見されている。しかし同時期の集落はここでは発見されず、約一キロ北に低湿地帯を挟んで立地する焼津微高地南端の宮之腰みやのこし遺跡で発見されている。

焼津市
やいづし

2008年11月1日:焼津市が志太郡大井川町を編入
【焼津市】静岡県
【大井川町】静岡県:志太郡

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「焼津市」の意味・わかりやすい解説

焼津〔市〕
やいづ

静岡県中部,駿河湾に臨む市。南部は大井川の河口に面する。1951年市制。1953年豊田村,1954年藤枝町の一部,1955年小川町と東益津村,大富村,和田村の 3村,1957年広幡村の一部,2008年大井川町をそれぞれ編入。中心市街地の焼津には江戸時代初期,駿河湾のカツオ漁のほか,海運業が発達し,廻船問屋もあった。明治末期から動力漁船が使用され遠洋漁業に進出,以来遠洋漁業の基地として急速に発展。大規模な魚市場があり,マグロ,カツオ,サバなどがおもに水揚げされる。缶詰,かつお節,なまり節,練製品,佃煮などの水産加工工場も多い。大井川の河口付近ではウナギの養殖が行なわれ,大井川漁港はサクラエビの水揚げで知られる。小泉八雲ゆかりの家,日本武尊(やまとたけるのみこと)をまつる焼津神社があり,大井八幡宮に伝わる藤守の田遊びは国の重要無形民俗文化財に指定。静岡市との境の大崩海岸は絶壁,奇岩の景勝地。JR東海道本線,国道150号線が通り,東名高速道路のインターチェンジがある。面積 70.31km2。人口 13万6845(2020)。

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