照明寺(読み)しようみようじ

日本歴史地名大系 「照明寺」の解説

照明寺
しようみようじ

[現在地名]生坂村上生坂

村の中ほどにあり、真言宗で山号は生宝山。もと真言宗高野山遍照光院の末寺で、弘長元年(一二六一)僧弘阿の開基とするが、同宗小穴おあな村(現明科あかしな町)の泉福せんぷく寺末となった。享保九年(一七二四)の「信府統記」には「生宝山照明寺、泉福寺末寺ナリ、麻績組上生坂村ニアリ、当寺開基年数知レス」とあり、「東筑摩郡村誌」には「照明寺、真言宗高野山遍照光院末、上生坂ニアリ、弘長元年十一月一日僧弘阿開基創建ス」とある。寺伝によれば、慶長年間(一五九六―一六一五)に当寺の二五世住職良憲和尚が諸国修行の際、長崎から煙草種子を持ち帰り、ひそかに試作したのがこの地方の煙草栽培の始まりと伝えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

デジタル大辞泉プラス 「照明寺」の解説

照明寺

群馬県太田市にある高野山真言宗の寺院。山号は瑠璃山、院号は妙光院。行基による開山と伝わる。本尊薬師瑠璃光如来で「反町薬師」とも呼ばれる。新田荘の代表的な館のひとつ、反町館の跡に建ち、境内には土塁水堀などの遺構が残る。「新田荘遺跡」として国の史跡に指定されている。

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