熊野本宮大社(読み)くまのほんぐうたいしゃ

精選版 日本国語大辞典 「熊野本宮大社」の意味・読み・例文・類語

くまのほんぐう‐たいしゃ【熊野本宮大社】

和歌山県田辺市本宮町本宮にある神社。旧官幣大社熊野三社の根本宮。家都美御子大神(けつみのみこのおおかみ)を主神としてまつる。崇神天皇六五年の創建といわれる。中世以降、公家、武士、庶民の間に広く信仰され、三社の中心として栄えた。熊野坐(くまのにます)神社。熊野牟須美神社。熊野本宮。

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デジタル大辞泉 「熊野本宮大社」の意味・読み・例文・類語

くまのほんぐう‐たいしゃ【熊野本宮大社】

和歌山県田辺市本宮町本宮にある神社。旧官幣大社。主祭神は家都御子神けつみこのかみ。中世、熊野大権現と称し、修験道とともに栄えた。熊野坐くまのにます神社は旧称。熊野三社の一。平成16年(2004)「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として世界遺産文化遺産)に登録された。熊野本宮。本宮。

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日本歴史地名大系 「熊野本宮大社」の解説

熊野本宮大社
くまのほんぐうたいしや

[現在地名]本宮町本宮

音無おとなし川左岸の高台に鎮座。熊野三山の一社で、熊野権現熊野坐くまのにいます神社ともいい、古くは証誠殿しようじようでんとも称した。全国に分布する熊野神社(約三千一〇〇社)の総本社。明治二二年(一八八九)の水害で流失するまでは五〇〇メートル下流の大斎原おおゆのはらに鎮座していたが、同二四年現在地に遷祀再建された。和歌山県新宮市と奈良県五條ごじよう市を結ぶ国道一六八号が社頭を南北に走る。社務所・手水舎の奥に神門があり、神門をくぐると鈴門が四棟並び、鈴門の奥に左から西御前にしのごぜんとよばれ熊野夫須美くまのふすみ大神を祀る第一殿と、中御前なかのごぜんとよばれ御子速玉之男みこはやたまのお神を祀る第二殿、証誠殿とよばれ主神家都御子けつみこ大神を祀る第三殿、天照あまてらす大神を祀る若宮社があり、第一・第二殿は同一社殿。以上四社は上四社と称され、明治の水害の際に流失を免れ、移建された。第五殿から第八殿までの中四社と、第九殿から第十二殿までの下四社は旧社地大斎原の石祠に合祀。「延喜式」神名帳の牟婁むろ郡に「熊野坐神社名神大」とみえ、旧官幣大社。

〈大和・紀伊寺院神社大事典〉

〔草創〕

創建年代について「扶桑略記」は崇神天皇の時といい、「帝王編年記」は崇神天皇六五年とする。「長寛勘文」所引の熊野権現御垂跡縁起によると、熊野神は唐の天台山から九州のひこ(英彦山)、伊予の石鎚いしづち峯、淡路の遊鶴羽ゆづるは峯を経て紀伊国切部きりべ(現和歌山県印南町)に渡り、熊野新宮南の神蔵かんのくら峯に降臨、その後、東の阿須加あすか(現和歌山県新宮市)の北に勧請、初めて「結早玉家津美御子」の神名を現し、一三年後に本宮大湯原おおゆのはらイチイの木末に月形で天降ったという。また「長寛勘文」の一説には「延喜式」神名帳の出雲国意宇おう郡に熊野坐神社・速玉はやたま神社がみえることから、紀伊熊野神と出雲熊野神は同神とし、家都御子神を素盞嗚すさのお尊にあてている。なお、当初の祭地を音無川の水源地付近に求める説もある。神位は「三代実録」貞観元年(八五九)正月二七日条に従五位上、同年五月二八日条に従二位、「日本紀略」延喜七年(九〇七)一〇月二日条に正二位を授けられたことがみえ、「長寛勘文」によると天慶三年(九四〇)二月一日に正一位に昇叙している。

〔本宮の仏教化〕

熊野は半僧半俗の修行者の聖地であったが、平安中期以来の浄土信仰の勃興を背景に、院政期には家都御子神の本地は浄土往生を確かにせしめる阿弥陀如来であるとする阿弥陀浄土観が成立。熊野権現御垂跡縁起に、岩田いわた川の南河内の犬飼(狩人)である熊野部千与定の前にこの神が現れ、「我乎波熊野三所権現土所申、一社証誠大菩薩申、今二枚月乎者両所権現土奈牟申」と名乗ったとあるように、熊野本宮は証誠大菩薩とよばれていた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「熊野本宮大社」の意味・わかりやすい解説

熊野本宮大社
くまのほんぐうたいしゃ

和歌山県田辺(たなべ)市本宮町に鎮座。通称、本宮とよばれる。2004年(平成16)世界文化遺産に登録された。家津美御子大神(けつみみこのおおかみ)を主祭神とし、ほか13柱を祀(まつ)る。創建年代は不詳であるが、当地方の古社で、もと熊野坐(にます)神社また熊野牟須美(むすび)神社とよばれた。766年(天平神護2)神封4戸が寄せられ、859年(貞観1)従(じゅ)五位上、さらに従二位となり、『延喜式(えんぎしき)』で名神(みょうじん)大社、907年(延喜7)宇多(うだ)上皇の御幸にあたり正二位、940年(天慶3)承平(じょうへい)の乱鎮定報賽(ほうさい)のため正一位となる。早くより神仏習合して信仰され、11世紀末には熊野速玉(はやたま)大社・熊野那智(なち)大社とともに熊野三山とよばれ、本社の祭神本地は阿弥陀如来(あみだにょらい)として熊野大権現(ごんげん)ととなえられた。院政期(1086~1179)白河上皇熊野詣(もう)で以降、上皇、女院、貴族以下の熊野信仰が盛んとなり、「蟻(あり)の熊野詣(もう)で」とよばれるに至り、さらにまた御師(おし)によりその信仰は全国に広められた。旧官幣大社。例祭は4月13日の湯登(ゆのぼり)神事に始まり、15日に神輿渡御(しんよとぎょ)祭と御田(おんだ)祭が行われる。1889年(明治22)の熊野川大洪水後に現社地に移転された。

[鎌田純一]


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デジタル大辞泉プラス 「熊野本宮大社」の解説

熊野本宮大社

和歌山県田辺市にある神社。延喜式内社。熊野三山のひとつ。祭神は家津美御子大神(けつみみこのおおかみ)など。鉄湯釜、本殿は国の重要文化財に指定。「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部としてユネスコの世界文化遺産に登録。

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改訂新版 世界大百科事典 「熊野本宮大社」の意味・わかりやすい解説

熊野本宮大社 (くまのほんぐうたいしゃ)

熊野大社(和歌山)

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事典・日本の観光資源 「熊野本宮大社」の解説

熊野本宮大社

(和歌山県田辺市)
熊野三山」指定の観光名所。

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世界大百科事典(旧版)内の熊野本宮大社の言及

【熊野大社】より

…和歌山県熊野地方にある本宮,新宮,那智の3ヵ所の神社の総称。本宮(熊野坐(くまのにます)神社)は現在熊野本宮大社と称し,東牟婁(ひがしむろ)郡本宮町に,新宮(熊野早玉神社)は現在熊野速玉大社と称し,新宮市に,那智は現在熊野那智大社と称し,東牟婁郡那智勝浦町に鎮座する。 熊野は古くから霊魂観と縁の深い土地で,早くから山岳修行者の活躍が見られた。…

※「熊野本宮大社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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