熱河省(読み)ネッカショウ

デジタル大辞泉 「熱河省」の意味・読み・例文・類語

ねっか‐しょう〔‐シヤウ〕【熱河省】

中国北部の旧省名。省都承徳。1933年満州国に組み込まれたが、1956年、南部河北省東部遼寧省、北部は内モンゴル自治区分割編入された。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「熱河省」の意味・わかりやすい解説

熱河省
ねっかしょう

中国の旧省名。現在の河北省北東部、遼寧(りょうねい)省南西部、内モンゴル自治区東部をあわせた地域。山地砂漠が多く、人口は少ない。1703年、清(しん)朝の康煕(こうき)帝はここに避暑山荘(熱河離宮ともいう)を営んだ。以後、歴代の皇帝の避暑地となり、同地には豪壮宮殿が建設された。1860年、アロー戦争で英仏連合軍が北京(ペキン)を占領すると、咸豊(かんぽう)帝は熱河に避難、同地で没している。その後、1914年に特別区となり、28年に熱河省となった。省都は承徳。そのころこの地はアヘンの原料であるケシの栽培が盛んであった。1932年、日本の関東軍は中国東北を軍事占領し「満州国」を発足させたが、さらに隣接する熱河省の併合を企図した。このため翌年2月より熱河作戦を行い、そこにいた東北軍閥張学良の勢力を駆逐し、同省を「満州国」の版図に組み込むことに成功した。中華人民共和国成立後の56年、熱河省は廃され、河北省、遼寧省、内モンゴル自治区に三分された。

[倉橋正直]

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改訂新版 世界大百科事典 「熱河省」の意味・わかりやすい解説

熱河省 (ねっかしょう)
Rè hé shěng

中国の旧省名。現在の河北省北東部の承徳地区から内モンゴル自治区南東部の昭烏達盟と哲里木盟の一部,および遼寧省西端にかけての地域を行政区域とした。清朝乾隆年間(1736-95),承徳府におかれた熱河副都統(のち都統)の管轄範囲であった昭烏達,卓索図2盟に由来(卓索図盟は今日の承徳地区にほぼ一致する)し,1914年特別区に改められ,さらに28年省がおかれ,承徳を省会としたが,56年廃止。河北・遼寧両省と内モンゴル自治区の行政区域に分離,編入された。
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世界大百科事典(旧版)内の熱河省の言及

【河北[省]】より

…1927年に至り初めて河北省と改め,省都が保定におかれたのである。またそのとき北東部を熱河省に,北西部をチャハル(察哈爾)省に所属させたが,中華人民共和国の成立後,両省を撤廃したので今日の境域となった。省都は一時,天津におかれたこともあるが,今日では石家荘におかれている。…

※「熱河省」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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