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(松村敏)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
片倉組の創始者。信濃国諏訪郡川岸村の豪農片倉市助の長男に生まれ,1876年家督を継いだ。73年に10人繰りの座繰製糸を始め,78年には32人繰り器械製糸所を設立した。翌79年に製糸結社開明社を平野村の尾沢金左衛門,林倉太郎らと作り,横浜と直接取引をしつつ経営を拡大した。95年には一族で匿名組合片倉組を作り兼太郎が組長となるが,同組は1900年代中葉には日本最大規模の製糸業者となった。
なお,2代目の兼太郎(1862-1934)は片倉製糸紡績の創設者。片倉市助の四男に生まれ,佐一と名づけられた。1877年長兄兼太郎の準養子となり兄を助けて片倉組内部の現業を統括した。1917年兼太郎を襲名して片倉組組長となり,20年3月片倉製糸紡績を設立して取締役社長に就任,33年取締役会長となった。34年没後嗣子脩一が襲名し3代兼太郎となった。同社は43年片倉工業に改組して事業内容を広げた。
執筆者:石井 寛治
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
明治・大正期の製糸事業家。信濃(しなの)国(長野県)諏訪(すわ)郡の豪農の家の長男に生まれる。1873年(明治6)自宅の庭で坐繰(ざぐり)10人取りを始め、78年には32人繰の垣外(かいと)製糸場を開業。粗製濫造による信州生糸の価値低下を防ぐため、同業者とともに開明社を組織し、輸出生糸の品質統一のため共同揚返(あげかえし)場を設置。以後一族の協力により急速に経営を拡大し、95年片倉一族の製糸経営を統轄するために片倉組を組織、業界第1位の製糸家となる。96年から農林事業に乗り出し、北海道、台湾、朝鮮にも進出。1916年(大正5)引退、翌年没する。末弟佐一が2代目を襲名。片倉組は、20年片倉製糸紡績会社に改組され、郡是(ぐんぜ)(現グンゼ)とともに日本の代表的製糸会社となった。43年(昭和18)片倉工業と改称。
[千本暁子]
敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...
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