片山東熊(読み)カタヤマトウクマ

デジタル大辞泉 「片山東熊」の意味・読み・例文・類語

かたやま‐とうくま【片山東熊】

[1855~1917]建築家山口の生まれ。ネオルネサンス・ネオバロック様式を得意とし、作品奈良京都東京国立博物館や旧赤坂離宮などがある。

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朝日日本歴史人物事典 「片山東熊」の解説

片山東熊

没年:大正6.10.23(1917)
生年:嘉永6.12.20(1854.1.18)
明治大正期の建築家。誕生日は19日とも。長門国(山口県)萩生まれ。父文左,母ハル。慶応3(1867)年奇兵隊に入隊し,翌年戊辰戦争に従軍。維新後進路を模索するが,明治6(1873)年工学寮に第1期生として入学,造家学を専攻。12年第1等の成績で卒業,工部省,太政官,外務省を経て19年皇居御造営事務局に転任,20年宮内省匠師となり,以後宮廷建築家への道を歩む。早くから山県有朋の知遇を得ており,宮内省への転出も山県の口利きによる。20~30年代には多くの離宮,皇族邸館のほか日本赤十字社,帝国奈良・京都両博物館などを設計。建物の性格にふさわしい穏和な作風をみせる。31年東宮御所(現迎賓館赤坂離宮)御造営事務局技監に任じられ,西洋諸国に遜色ない宮殿を目指す国家事業を一身に担う。37年内匠頭に昇進し,宮内省営繕の頂点に立つ。41年東宮御所竣工。こののち東京帝室博物館の表慶館,竹田宮邸,神奈川県庁舎などを設計。いずれもフランス17世紀建築の典雅さをよく日本に移植しえている。大正3(1914)年桃山御陵を造営し,4年退官。5年に勲1等旭日大綬章を受ける。これは近代日本の建築家の得た最高の勲等であった。<参考文献>小野木重勝「様式の礎」(『日本の建築[明治・大正・昭和]』2巻)

(石田潤一郎)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「片山東熊」の意味・わかりやすい解説

片山東熊
かたやまとうくま
(1853―1917)

明治の建築家。山口県萩(はぎ)市出身。1879年(明治12)工部大学校造家学科卒業。辰野金吾(たつのきんご)、曽禰達蔵(そねたつぞう)、佐立七次郎(さたてしちじろう)(1856―1922)とともに第1回卒業生。卒業後工部省技手となり、1881年コンドル設計の有栖川(ありすがわ)邸の建築掛となる。以後多くの宮廷建築を手がけ、1898年東宮御所造営技監となり、赤坂離宮(迎賓館)の造営にあたった。ネオ・ルネサンス、ネオ・バロック様式を基調にした様式建築を得意にし、日赤病院、東京郵便電信局、奈良国立博物館、京都国立博物館、東京国立博物館表慶館、神奈川県庁舎などがある。

[天田起雄 2018年9月19日]


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改訂新版 世界大百科事典 「片山東熊」の意味・わかりやすい解説

片山東熊 (かたやまとうくま)
生没年:1854-1917(安政1-大正6)

建築家。長門国(山口県)萩に生まれる。奇兵隊士となり戊辰(ぼしん)戦争に従軍。1879年工部大学校(現,東京大学)造家学科を第1回生として卒業,工部省技手等を経て86年以降宮内省に出仕し,のち内匠頭の地位につき,明治天皇の陵墓設営に至るまで宮廷建築家として一生を終えた。作品には帝国奈良博物館(1894),帝国京都博物館(1895),赤坂離宮(1906。現,迎賓館),表慶館(1909)などがあり,西欧宮殿のさまざまな様式を移植したが,彼自身はフランス・ルネサンス様式を好んだといわれる。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「片山東熊」の意味・わかりやすい解説

片山東熊
かたやまとうくま

[生]嘉永6(1853).萩
[没]1917. 東京
建築家。工部大学校 (→工学寮 ) 造家学科第1回卒業生 (1879) 。 1881年に有栖川宮邸建築掛になり,それ以後,宮内省にあって多くの宮廷建築を設計。主要作品に奈良国立博物館本館 (1894) ,京都国立博物館特別展示館 (1895) ,赤坂離宮 (1909,現迎賓館) ,東京国立博物館表慶館 (1909) がある。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「片山東熊」の解説

片山東熊
かたやまとうくま

1854.12.20~1917.10.23

明治期を代表する建築家。長門国生れ。1879年(明治12)第1期生として工部大学校を卒業。工部省・外務省・臨時建築局をへて,86年宮内省に入り,以降宮廷建築家となる。最高傑作の赤坂離宮(現,迎賓館,国宝)は,日本人建築家による西洋建築技術修得の達成度を示す作品。他に京都および奈良の国立博物館,東京国立博物館表慶館などが現存。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「片山東熊」の解説

片山東熊 かたやま-とうくま

1855*-1917 明治-大正時代の建築家。
安政元年12月20日生まれ。工部省などをへて明治19年宮内省に転じ,皇室関係の建築にかかわる。代表作は東宮御所(のちの赤坂離宮,現迎賓館)。ほかに奈良帝室博物館,京都帝室博物館など。大正6年10月23日死去。64歳。長門(ながと)(山口県)出身。工部大学校(現東大工学部)卒。

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旺文社日本史事典 三訂版 「片山東熊」の解説

片山東熊
かたやまとうくま

1854〜1917
明治・大正時代の建築家
長門(山口県)の生まれ。工部大学校卒業後,工部省・大蔵省などを経て宮内省に入り,以後宮廷建築家となる。代表作品に赤坂離宮(現迎賓館)など。

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世界大百科事典(旧版)内の片山東熊の言及

【赤坂離宮】より

…初の本格的な洋風宮殿建築として慎重に先進国に範がとられ,建築石材や家具調度類は最高級品が輸入された。建設を統括したのは宮内省技師片山東熊で,調査調達のための渡航4回,室内装飾には今泉雄作,浅井忠,黒田清輝等当時一流の美術家が動員された。建築様式は権威を誇示するために当時ヨーロッパで流行していたネオ・バロックが採られ,室内はフランス18世紀末様式が基調とされた。…

【東京国立博物館】より

…平常陳列のほか,年に数回特別展を開催している。なお表慶館は片山東熊の設計になり,1908年竣工,重要文化財に指定されている。【原田 実】。…

※「片山東熊」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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